いろいろ小函

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夏・日録
8月13日 根っから信仰心の欠除に加えなにやら雑用にかまけて、二時間そこそこの距離にもかかわらず、お盆の帰省は久しぶりである。天罰か、朝から篠つくばかりの豪雨。
 かねての誘いに抗しきれず、途中、二ツ井町仁鮒の畠山敏雄氏方に立ち寄り、自宅裏の杉林を利用したミズの栽培畑を拝見する。終戦を機に"戦争責任"を理由に北海道の営林署長を退職した氏は、帰郷して郷村の再建に当たり響村長から県議三期。県会時代ば保革いずれの党派にもくみせぬ是々非々主義の一人一党を貫き通したことから、"畠山一刀斎"とも称された人物である。
 かつて成長の早い桐栽培を町民に率先して行い、地域に莫大な利益をもたらしたこともある古典的村おこしアイデアマン(かつ実行派)の八十翁は、ミズ料理の開発を目下婦人会の人たちに(画像参照)中であるとか、林間の高度利用の夢を熱っぽく語ってくれた。

8月14日 帰省中の"絵馬竜"こと殿村進君が、Sデパートで個展を開いている。好評だった『地蔵さまの本』『観音さまの本』に次ぐ『地蔵さまのかれんだあ・93年版』の原画展である。昨年、秋田銀行の役員から温泉付き別荘分譲を手掛ける八幡平山麓観光開発事業団社長に就任したK君が、殿村君をその切留平へ招くという。
 同行はT鉄工社長と元塩釜税務署長のT君―四人は小学校の同じクラスだが、ぼくも特別仲間に加えてもらい、一夜ペンション「キャプテン翼」で連中と痛飲。
 T元署長が退職後、お定まりの税理士事務所のほかにもう一本、「T赤帽運送」の看板を掲げたとは本人からの便りで承知していたが、それは経営者のことであり、まさか本人自らが小型トラックのハンドルを握っているのだとは、露思わなんだった。
 元税務署長の赤帽運転手など、おそらく全国にも例がないだろう。「第二の人生まで、窮屈なサラリーマン生活はかなわんから」と、しかし言うは易く行いは難し。来年四月以降のわが身の振り方を思って粛然。

8月15日 夜、大館市内で高校の同期会。一昨年から毎年この日を恒例して、格別誘い合うこともなく気軽に集まっている。たった四カ月半という短期間だが、旧制中学での軍事教棟の最後の経験者のぼくらだからこそ、「終戦記念日」にこだわることも意味なしとはしないだろう。

8月18日 休暇に引き続く出張で久しぶり出勤したら、羽後町の詩人小坂太郎氏から『零の青春』なる一冊が届いていた。旧制横手中学四十三期生といえは、ぼくらの四歳年長だけに、ろくな授業も受けられず勤労動員やら、特別幹部候補生・予科練といった学徒出陣で青春を空しくした人たちである。その人たち八十人が、おのおのの太平洋戦時下の体験を綴った文集で、動員先の群馬・中島飛行機で一緒に働いた同県の元女学生十人の手記をも載せた貴重な証言記録である。
 製造に携った零式戦闘機のゼロに、「無」のゼロと両方の意味を込めてのタイトルとのこと。ぼくらも昨年、高校卒業四十周年記念で大部な文集を発行したのだが、わずか四年を前後して生を享けただけの違いか、ぼく達のアッケラカンと明るい軽みに比し、小坂さんたちの青春のなんという暗い重さか。

8月26日 釜石市で開かれる全国広報研究大会へ。この日、広報紙コンクール入選二席の表彰を受ける若美町の、前広報係長鈴木初男氏・受賞決定後急逝された加藤雅彦氏の後任粕崎潤一氏の車は同乗を頼む。
 わがスタッフの面々は、総出でご来県中の皇太子殿下の写真取材で大忙しというのにまこと相済まぬが、いずれ誰か一人は出席しなければならない大会とすれば、当日、「特別功労章」を受けることになっているぼくの出席に有無を唱えることはできない、と観念した上である。
 功労章といっても、永年広報の仕事にたずさわってきたというだけのものだろう。晴れがましいのは不似合いな自分だが、二十五年になんなんとする"広報人生"をひとくぎりする標として受けるのもよかろうと、妙に自分を納得させている。
(伊多波英夫)




編集後記

 皇太子殿下が秋田へおいでになられた。それに伴って東京からの報道陣をも含め、総勢六十人近いカメラマン集団が形成。我々スタッフ一同も報道部隊として殿下に密着、シャッターを切った。馴れない報道写真とあって、カメラ、脚立などの機材を抱えての、先回りや後からの追い掛けはハードであった。
 取材場所と時間(分刻み)が限定されていることに加え、勝手に動き回ることさえできない。物凄い気迫に満ちたカメラマンの山(一列目はしゃがみ込み、二列目は立ち、三列目は脚立)のわずかな隙間からあっちに押され、こっちに押されして殿下を探す。どうにか何カットかのシャッターは切れた。が、出来ば今一つ。自分の未熟さを撮ってしまったようだ。
(岡崎佳治)

 音楽は耳から心へ何かを残してくれる。好きな音との出会いは、胸に"小さな嵐"を巻き起こすことも。そんな音楽を自分で作れたらすばらしいだろう。途中に苦労が多くても楽しいから止められないと、熱っぽく語る高橋さん夫妻のお話に、聞いてるこちらもワクワクしてきた。
 熱い心で"つくる"人たちと、先日、釜石市でも出会えた。全国広報広聴研究大会での全国の広報マン・ウーマンたちだ。それぞれの個性や熱意が一枚の名刺を交換する度に伝わって来る。彼らと語り合った余韻はまだ続いている。たとえ数字上ではどんなに小さな町も、彼らから語られる古里は大きく魅力的に輝いてくる。そんな妙味と責任が広報にあると感じた三日間だった。
(鎌田恵子)

 初めて川原毛地獄に足を踏み入れた。圧倒される風景だ。白い山肌に硫化ガスの噴き出している所だけが黄色だ。こわいもの見たさから近づこうとすると、すぐに戻るように言われた。長くいるとガスにやられてしまうのだそうだ。なるほどと思った。半ば白骨化したキツネの死骸が二体。どうしてこんな所に迷い込んだのか。植物など生えない不毛の地にエサなどなかろうに。観光客の残した食べ物にでも近づいたのだろうか。つがいだろうか、親子だろうか。あれこれ考えていて自分も足元のキツネのようになってばと思い、早々に引き返す。地獄とばよく言ったものだ。
 地元湯沢市は観光客のためにトイレ、駐車場などの周辺整備をした。天然露天風呂の大滝湯も含め、一見に価する。
(石井有良)