拝啓、ふるさと様。第9回◎詩人・雑誌発行人 津田遙子

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 私たちが発行している北海道を旅する手帖『北の話』は、小冊子で隔月刊ながら、創刊以来三十周年を越し誌齢も百七十を重ねています。創刊当時からの執筆者で、室蘭生まれの先ごろ芸術院会員になられた八木義徳先生が、<『北の話』は作家八重樫實と、詩人である津田遙子夫人との共同制作である。いま試しに『北の話』のバックナンバーを取り出して任意にひらいてみると、作家では丹羽文雄、石川達三、阿部知二、詩人では西條八十、堀口大學、国中冬二など、文壇や詩壇の大家といわれる人たちのほかに、名の通った文芸家がずらり名前をつらねている>と、三十周年記念号に書かれたこともあって、いまでは"小さな大雑誌"などと呼ばれるようになりました。
 昨年、これまで秘蔵していた諸作家の原稿をはじめ、表紙画、カット、写真などをサッポロビール博物館ホールに展示して盛大な三十周年記念展を催しましたが、これを機会に同館には《『北の話』特設コーナー》が誕生しました。大企業ならではの歴史資料館は冷暖房完備の館内を容姿の美しいコンパニオン・レディが全国からおいでの見学者たちをご案内し、帰りには缶ビールとおつまみのサービスまであるという願ってもない幸せな環境で、文芸の香りと直筆の威力が皆様を魅了しているようです。


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 「郷里の秋田の十和田湖畔に親代々の暮しがあった」 (和田芳恵)

 「私は秋田衆なので原稿料より鮭がよい」 (石川達三)

 「鷹巣の"みちのく子供風土記館"でお会いしましょう」 (渡辺喜恵子)

 「僕の書いた"マタギ"はその方面の辞典になった」 (戸川幸夫)

 飾られた玉稿の前に時おり私はたたずみ、諸先生からいただいた文面をなつかしみながら、ふるさとを感じる愉しみに浸るのです。

 「東京へいらしたら電話をください。きっとですよ」とお便りいただいた西條八十先生には、亡くなられるまでお世話になりながら一度もお訪ねできず、お迎えする機会も逸してお目に掛からずじまいとなりましたが、随想「釧路の一夜」は先生の序文を頂いた私の詩集『雪明り』の出版を祝って本誌二十九号に、色紙は五十号記念展の折りに送ってくださり、お蔭で前記の堀口、田中両先生に加えて深尾須磨子、尾崎喜八、緒方昇、村野四郎、江間章子、北川冬彦、神保光太郎、丸山薫、木山捷平、中村真一郎の先生方とのご寄稿のよすがをひらいていただきました。
 そうした恩恵をかたじけなくした西條先生の絵はがきを、私が初めて頂戴したのは、今日の私を育てて下さった阿仁合小学校の生徒のころでした。
 あの戦争の断末魔にある東京で、私は目の前で従姉の生命を奪われました。つないでいた手の離れるや、ひとりで駆け出し道路を渡りきった側に爆弾が落ち、土煙りと地面の飛び散るのと焔と、見ていながら気の狂うような悲嘆の一瞬をも億や忘れることはないでしょう。
 日本中が焼けただれるさなか、私たち一家が移り住んだのは、県北の山峡の町阿仁合でした。
 アカシヤの花の匂う、ゆたかな川には太陽が幾千万の糸を垂れ、水がその糸を織りあげて流れ、森は天空に聳えて両側に迫り、緑のひだとなってビロウドいろの奥羽山脈へ連る。その入口が終着駅阿仁合(現在は内陸鉄道の中央)で、イワツバメの夥しく飛びかう巣の下の改札係が、のどかに番傘をさし結界のお地蔵さんのような笑顔で迎えてくれたのを憶えています。
 いにしえの、白狐に導かれ金山を発見して以来という県内最古の町並みには、廊下のような庇が並び、いまでいうアーケード街の発祥といえるのですが、商魂に根ざしたのではなく雪国の柱来への思いやりから発生し代々そうしてきたのだそうで、<辿りて来ぬ軒のつま>はここの情景を歌ったということでした。
 小学三年で転校した私は、佐藤仁市郎先生(故人)のご指導で生まれて初めて書いた詩(★注)が、その翌年のこども新聞の一席になったことがありました。
 西條先生が関わっていらしたとはお知らせの絵はがきを学校宛てに頂くまで存ぜず、玉味噌を種子味噌と間違えたのによくパスしたものと、後年のいましめにいたしました。佐藤先生は子供たちをその気にさせるのがお上手で、珠算から各種スポーツにいたる全国的なトップを輩出させたと聞きます。
 当時の学校友達が来年はこちらに集合、《北海道を旅する手帖》の描く通りに歩くというので楽しみです。




★注

たねみそ
津田遥子

秋 どこの家の天井にも
藁でしばったたねみそが吊るしてある
その下で人々は団欒している
また忙しい朝をむかえる

畑仕事がおわり雪がつもると
たねみそを天井からおろす
たくさんのこうじや塩とまぜあわせ
桶のなかで三年もねむる

私たちが小学校を卒業するころ
たねみそは 本当のみそになるのかしら

(読売新聞社発行「少年タイムス」昭和21年度全国小・中学校教育作品コンクール1席)




津田遙子(つだ・ようこ)

 昭和11年10月、東京生まれ。疎開先の北秋田郡阿仁町に育ち秋田大学中退。少女時代から西條八十に師事、童詩集『風とはなびら』を出版。『青魚』『序』『木馬』同人を経て西條八十主宰の『ポエトロア』(東京)に参加し同人となる。北海道に憧れて札幌教育大学へ再入学、休学し就職したHBC北海道放送書記局勤務のころ、同人誌『凍原』を主宰し創作活動をしていた八重樫實と結婚。62年ふたりで凍原社を創立、北海道を旅する手帖『北の話』を創刊した。
 著書には序文・西條八十/帯文・中村真一郎、原田康子の詩集『雪明り』がある。札幌市東区伏古七条五丁目2-12住。