ふるさとナウ(20)

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森吉町、阿仁町、上小阿仁村


県内きっての人口高齢化地域
道路綱整備にカンフル剤の期待
森吉山のリゾート開発に夢託す



スキー場の成否占う頂上でのドッキング

 阿仁雄勝と並んで、県内では最も辺地の印象が濃い。なかでも奥阿仁の三町村をみると、人口密度の低いこと阿仁町は一平方キロ当たり十四人で全県一、上小阿仁村は十五人で、雄勝郡の皆瀬村と二位タイである。県立米内沢高校が立地する森吉町ですら、十番以内に位置している。
 年少人口率は一四・〇%で上小阿仁村が最下位、その上が阿仁町で一四・一%、老齢人口率となると両者が逆転して阿仁町がトップになる。まさに過疎の姿まざまざである。
 森吉、阿仁の両町では、最近揃って新人町長が誕生している。森吉町の場合は手堅く通算六期を務めたベテラン町長にとって代わり、民間から会長・事務局長の商工会コンビが町長・助役として行政の新たな舵取り役に登場した。その反対に実業畑出身の首長が何代か続いた阿仁町では、役場の課長経験者が首長に選ばれている。
 両町好対象を示しているが、このあたりにも、ともかく現状さえ打ち破ればなにか新しい状況が生まれるのではないかという、祈りにも似た住民の模索の姿勢がうかがわれる。
 当面する両町の共通課題は、共有する森吉山を核としたリゾート開発である。北緯四〇度シーズナルリゾートあきたの計画に阿仁・森吉山・奥森吉の三ブロックが重点整備地区として組み入れられてはいるものの、目下のところ先にオープンした森吉山のスキー場を手掛けている西武系国土計画以外に、肝心の民間企業の新たな進出のめどは皆無である。
 七、八年前、阿仁町打当地区に世界各国の建築様式をとりいれたペンション村で進出の動きがあったヤナコーグループも、本県出身の創業者杜長の死後はぱったり消息を絶ってしまった。
 いま一つ魅力に欠けるスキー場についての両町の願望は、双方のコースを延長し頂上付近でドッキングさせること、この構想も自然保護団体の抵抗にあって思うように進捗していない。


急がるる太平山ルート仁別―萩形―阿仁鳥坂

 過疎脱出の特効薬の一つは、道路網の整備である。長いこと"幻の県道"といわれてきた二一四号(福館阿仁前田線)の工事もようやく最終段階に入って急ピッチ、来年中には森吉山スキー場入口から上小阿仁村役場前で国道二八五号へつながる。これで十分以上の短縮が確実となる。
 秋田方面からスキー場へのアクセスは、内陸縦貫鉄道阿仁またぎ駅から到着列車ごとピストン輸送のバスが運行されるようになった打当温泉の前を通り、掬森の下で仙北郡境を越え、玉川地区鳩の湯温泉あたりで三四一号と結ぶ道路も、来年開通へ向けて工事が進んでいる。また、森吉町では大杉沢に沿って夜明島へ抜け、鹿角市曙地区と結ぶルートの開さくが構想されている。
 大規模リゾート計画がらみで、関連地域の綿密な道路網調査も行われている。優先着工の俎上にのぼってきたのがブナ帯林道(森吉側ブナ帯と阿仁側高津森を結ぶ)で、五〇一キロは整備済みだから残るは九・七キロだが、これが開通すれば三十五キロほどある両スキー場間が現在の半分以下の距離でつながる。
 悪路ながらすでに車の通行が可能な二ルートも、それぞれ町道編入されて県道昇格の機をうかがっている。一つは県道比内宮川線から分かれて太平湖に至る一八キロの区間で、八月末には比内・森吉両町の県道昇格期成同盟会が結成され本格的な運動に入った。
 もう一本は阿仁町比立内から峰越に河辺町を経て秋田市へ至る従来の河北(かわきた)林道である。これまではこのルートが秋田からの最短コースだったが、ここへ来て急浮上し、むしろ期待を持たれているのが秋田市仁別から上小阿仁村萩形を経て阿仁町で国道一〇五号線上の烏坂橋と結ぶ太平山麓を抜けるルートである。

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 これらの道路網がすべて整備された暁の話だが、現在夏冬を合せ三十三万人といわれる森吉山への入込み数が、五十万人からさらには百万人になろうとの夢も現実のものとなろう。
 ともかくこの地域は、"自然"も"人文"も資源的には豊富である。県立自然公園で鳥海と並ぶ信仰の山森吉はいうまでもなく、阿仁町側には昨年全国名滝百選の二位に入った悲恋伝説の安ノ滝を筆頭に、露熊山峡と幸兵衛滝、異人館・伝承館、打当温泉とふるさとセンター(またぎ資料館)、菖蒲園、隠れた信仰道場萱草七面山、根子番楽や比立内獅子踊りなどの郷土芸能がある。
 また森吉町側には秘峡小又峡と天然スギの垂直分布上では異例といわれる高度八五〇メートル以上に群生する桃洞・佐渡のスギ原生林という二つの天然記念物をはじめ、小又峡入口にあたる太平湖、ノロ川盆地のブナ原生林と桃洞滝、前田獅子舞、アユ料理・ワサビ漬とマルメロ加工品があり、これに将来は森吉山ダムが一枚加わる。


打当温泉花クマ牧場音楽館では定期演奏会

 これに新顔のエース級資源として阿仁町が今春打当温泉の近くにオープンさせたクマ牧場と森吉町が郷土の先覚顕彰のため六十三年八月に完成させた浜辺の歌音楽館が加わる。森吉町ではスキー場から歩いて三分の場所に作った高原キャンプ場ロッジ森吉も、今後は人気を呼びそう。
 予想外の人気で、すでに入場予定人員を突破したクマ牧場は、三年がかり、町づくり特対事業の一億八千万円をかけて作られた。打当温泉から歩いても十五分、後背地の斜面を利用した駐車場とも二・四鯵の面積に、仔熊・中熊・成熊を分けて囲ったコンクリートの牧場と、草地の各種広場からなる。ふれあい広場では、春から初夏へかけてなら仔熊へ直接手を触れ遊び戯れることも可能。
 ツキノワグマただいま五十頭。将来構想は二百頭で、熊に芸を仕込むなど演出にも新機軸をはかるほか、東北の山間にすむ各種動物を集めた小動物園に整備拡張し、ゆくゆくは総合レジャーランド化を目論む。
 映画マタギに主演?したヒグマのごん太は現在四五〇キロの巨体を窮屈そうにオリに飼われているが、さし当たり来年はごん太を放牧するオリを増設する。
 二百種、約三百万本の菖蒲園は規模全県一で、あずま屋を作るなど環境整備も整い、七月上・中旬の花しょうぶ祭の期間中は一万六千人以上を集めた。
 浜辺の歌音楽館は、いわずと知れた森吉町米内沢出身の音楽家成田為三にちなむ。自筆楽譜など遣品を陳列するほか、二階のメーンホール出会いのステージでは代表曲を故人そっくりのロボットがピアノ演奏、さらにスライドシーンとの対話・ナレーションで成田為三の生涯と業績を紹介する。
 これだけではさして変哲もないが、むしろ玄人筋にうけているのは三室あるリスエングルームで、うち二室は童謡カナリヤから交響曲二つのロマンスにいたる幅広い為三作品を聴いたり、生涯について聴くことができ、もう一室では他の本県出身作家の作品を含めた日本の代表的な歌曲が聴ける。
 注目されるのは、同館を会場に隔月程度開かれている定期演奏会である。これまでクラリネット佐川聖二、ピアノ川村雅枝、テノール河瀬柳史、秋大講師斎藤洋を中心とした室内楽三重奏など県関係者が出演してきたが、この八月の第九回は東京ホームコーラスが来演した。音楽を通しての"町づくり"に、ようやく魂が通った形である。同町の医師、故近藤豊治氏のコレクション、貴重なクラシック盤を中心に二千枚のレコードの寄贈を受け、これの活用にも期待がかかる。


全国一のマルメロ産池果実酒ほの香誕生

 森吉町は全町を四区分して過疎地域活性化計画(平成2年度〜6年度)をこのほど策定した。一つは大野岱地区の農工タウン化案。は米内沢高校と向かい合う長野岱工業回地に二〇ヘクタールを新しく造成するのが主軸となる。は県北空港の開設を見すえたピンクメロンの特産化で、今年は町単独で五十万円の予算を計上、四戸計二百三十坪で試験栽培を始めた。ワインレッド、バーデンビットの二種類で、十月出荷の遅出しを狙っている。御狩屋をふるさと公園にして、農業歴史館を建てようという構想もある。

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 特産物といえば森吉ワサビマルメロが定着、マルメロは全町五団地で二百五十戸が作付け、今年の収穫見込みは一八〇トン、もちろん全国一である。農協の加工場から缶詰やジャムを出荷するほか、マルメロパイは昨年スキー場で大もてだった。県内の酒造メーカーに開発を委託していた二種のマルメロ酒も八月の試飲会をクリア、ほの香の名でお盆目あてに限定発売された。
 米内沢地区は公共施設を核に中心街として整備する。幅員三三"で計画されている国道一〇五号バイパス沿いに、ダム建設で移転を余儀なくされる奥地住民用に、二二ヘクタール(宅地九ヘクタール、農地一三ヘクタール)を造成中で百二十世帯(ほかに六十六世帯は町外移転)が、来年以降この場所に引越す。隣接してふるさと村事業用地一五ヘクタールも確保している。別に定住促進のため、マイホーム建設には一区画三〇〇平方メートル単位で陣場岱の町有地を十年間無料で貸す制度(それ以後は譲渡)を打ち出し注目されているがこの案も近く町議会を通る見込みで、町民外もちろん大歓迎という。
 リバーサイドパークの計画も。同町漁協は県内唯一、採卵のためのマスの捕かく許可を持っており、人口河川にサケ・マスの蓄養場を作る。
 ダムで数か集落が湖底に沈む前田地区は、百九十八世帯の移転でざっと年間三億円の所得減が予想されるので、駅周辺に観光物産センターを建設し活性化に備える。リゾート地区は前述のとおり。杣温泉、森吉山荘のある湯ノ岱から太平湖までは今月中に全面舗装が完成、そのあとは小又峡の遊歩道を整備、三階ノ滝まではハイヒールでも行けるようにする。
 加えて今年四年目を迎える七夕火まつり、昨年から始まった水辺の祭典(郷土芸能からロック演奏までの野外公開が中心)など、若者主体でイベントによるまちおこしにも力が入ってきた。


ふるさと創生で温泉松茸の産地化に桃戦

 かつて産銅日本一を誇った鉱山の衰退で、昭和三十五年をピーク(一万一千三百三十九人)に人口の目減りがとくに著しい阿仁町(七月現在、五千百七十四人でピーク時の半分以下に減少)の場合、町づくりのコンセプトは北緯四〇度マタギの里づくりに集約される。
 農業に夢を託せなくなった今、再生頼みの綱は"観光立町"で、クマ牧場もその一石だが、このたびはふるさと創生資金を思い切って温泉開発にふりむけた。空中探査の結果、スキー場の下、鍵の滝周辺に適地を得て近くボーリングを始める。これ以外にも比立内で先ごろ民間人が温泉を掘り当てており、このほうは今秋中に湯治客舎を開業の予定である。
 スキー場近くに、町がペンション誘致を当て込んで宅地造成をしたが一年目に建設はわずか一戸―これは先ごろNHKが全国に放映した内容で少なからず町のイメージがダウン、町民もショックを受けたが、実情は七月末現在で営業中は二戸、建築中がさらに二戸あり、これで勢いを盛返せば見通しは必ずしも暗くはないようだ。
 町づくり特対事業では、一〇五号バイパス湯口内―荒瀬間が森吉地内に先がけて平成四年までに開通する。このアクセス道のため現在の公民館が移転を迫まられているので、新しく近くの高台に二ヘクタールを買収して新築の予定。これに合わせて一帯を文化センターゾーンとして整備、物産館や工芸館なども配置する。工芸館は先輩格の阿仁焼もあるし、現在は町民有志の作陶サークルがあり、これらの育成の拠点ともなる。ここにはまた"マタギの里々を示すシンボルタワーの建設も構想されている。
 全県市町村中五番目の広さを持つが、なにしろ総面積の九四%が山林原野だから、一応米プラス肉牛を掲げてはいるものの、農業の振興となると条件が厳しい。特産品はわずかに伏影地区のリンゴあるのみである。
 ただ銀山地区東側後背地に、かつての鉱山の主古河の経営になる林業会杜が所有するアカマツ林があって、かねてマツタケの産地として知る人ぞ知る場所であった。今年町はその一部を借り受け、マツタケの里づくりに乗り出した。借地料と雑木の除伐で予算三百十万円、将来は種菌による栽培まで進むのが夢という。


物産センターを開設人気のコアニチドリ

 上小阿仁村は、昨年立村百年を迎えて郷土百年史の発刊、記念碑の建立、上小阿仁音頭の公募制定など盛大な行事を催した。町村自治制が新しく敷かれた明治二十二年に、九つの村が合併して今の村が誕生して以来である。
 かつては下小阿仁村(昭和30年3月に合川町へ合併)が存在したのでを称したが、がなくなった今は小阿仁村でいいのではないか、と立村百年を機に村名変更という一部意見もあったが見送られている。村の役場職員が北海道へ研修旅行のさい、ホテルにはちゃんと村名の字解きをして申込んだ筈なのに、着いてみたら歓迎神子兄村一行様と看板が出ていたという。笑い話のような、実話である。

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 村を代表する花はコアニチドリ―なにやら鳥と間違われそうだが、大正八年に同村地内で木下友三郎氏によって初めて発見されたラン科の植物で、学名はアミトスティグマ・キノシタエ、牧野富太郎博士によりコアニチドリの愛称がつけられている。
 北関東以北は南千島まで分布、東北では一、二〇〇メートル〜一、五〇〇メートルの亜高山帯に自生し、七、八月に茎のてっぺんに淡紅紫色と白色に分かれた二〜五個の可憐な花を咲かせる。
 村役場の向いに、この四月完成した村の物産センターでは、鉢植えのコアニチドリを千円前後で売っている。が、売れ行き上々とかで棚が空っぽになることが多いという。どこにでもある花なのに、やはりコアニの地名にあやかって買う気を誘われるものかと、むしろ役場の担当職員の方が怪訝そうな面持だった。
 物産センターはもちろん総秋田杉づくり。なにしろ一村だけを管轄する営林署が現にあるという、全国でも珍しい地域なのである。それほど山は富み、これあればこそ、戦後も町村合併を拒んで独力で歩んでこられたのである。
 村の九四%が山林原野で、その七五%が国有林。大林の山中では、天然秋田杉の巨木群が学術参考林として保護されている。昨年暮れに竣工した上小阿仁中学校の新校舎は、外部こそ鉄筋造りだが、内装は全て村有林(人口一人当たりの面積が全県一という)から伐り出された秋田杉で、すべてに木目が生かされている。玄関を入ったホールには、新校舎シンボルともいう形で樹齢三百年の天杉が、白木の丸太のまま大黒柱然と使われている。


キジ・比内鶏・洋菜など村あげての特産品開発

 物産センターでは、山村地域若者定住環境整備モデル事業で作られた木材工芸センター(協同組合で経営)が製作した数々の木工品が主たるアイテム。ほかにアケビづる細工、間伐材で作ったやまここけしなどがあるが、こけしは成田正太郎(号正夢)さんの考案で、虫食いの跡を模様に生かしたのがアイデア。成田ついたてさんはほかにも篆刻のある衝立や一粒一粒に文字を書いた米粒を張りつけて絵や文字(寿や左馬)を書いた額など、ユニークな細工も出品している。
 そしてズッキーニ、べいなすなど村が特産化をめざしている新品種を含む洋野菜も物産センターの顔である。
 これらは村の野外生産試作センターでの試験耕作を経て一部農家が生産しているもの。ほかにもタスピロ、ユリなどの花き、ソラマメ収穫の後作となる白菜などの適地試験と取組み中だが、村営"農事試験場"としてはおそらく東北唯一で県立農業短大出の専任職員を配し、さらに毎年七百万円以上の村費をここでの特産野菜づくりの試験に投資している。
 全羽が放し飼い(味を守る絶対条件)という比内鶏の飼育は定着した。肉質保証で県外大手の需要家へ契約出荷、年間約一万羽にのぼる。珍しいのは、不動羅の山田三郎さんが中心の生産組合が、県猟友会から委託を受けているキジの飼養である。十年以上の試行錯誤の末、この二、三年でやっと軌道にのり、昨年秋は放鳥用を中心に二千羽を出荷した。肉用は一羽七千円と、まだ庶民の味というには遠いようだ。今秋から新たに、日本猟友会からの委託でエゾライチョウの飼育に挑戦するという。

 農産加工組合によるウド、コゴミ、タラの芽栽培も完全に定着しているし、ともかく村の指導のもと、意欲ある農家が新しい特産品の創出に懸命な姿は、心強い感じである。
 短冊型に細長い村の中央を、国道二八五号が走っていて、それに沿って村落が配されているので交通上はまことに便利、北秋田郡内では最も県都に近い立地条件にあるのだが、彼岸の中日に行われる万灯火、秋は紅葉、あとは釣りのメッカで知られる萩形ダムとその周辺・不老(おいしらず)の滝を借景にした鯉茶屋以外にはこれといった観光資源もないので、ふるさと創生資金の大半を投じ、現在南沢地区で温泉ボーリングを実施中である。うまく泉源に当たれば、なるべく早い時期に健康増進施設を作る予定である。
 萩形ダムは治水・発電の多目的ダムで県営第一号として昭和四十一年に完成している。が、建設時代のダム景気の名残りか、沖田面地内には、バー、寿司屋など"過疎"県内・一、二という村にして飲食店の多いのが目立つ。統計によれば、人口千人当たりの飲食店数は二・七軒、驚くなかれ鹿角市、小坂町、十文字町に次いで全県十八位という。

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