あきたの文化財(73)

[PDFファイルを表示]

無形民族文化財
   火渡り行事
     ―大館市―     飯塚 喜市

 火渡りは修験や行者たちが行う(注)験術の一種で、燃えている炭火や火の上を渡り歩く儀礼である。火渡り儀礼の意味は、修験や行者たちが尊崇する火焔の(注)不動明王と一体化し、すべての罪過を焼き尽くすということであり、()火生三昧邪(かしょうさんまや)法と呼ばれている。
 近世になると修験者たちは、自分たちのこの火生三昧邪法を信者たちに誇示するため、山岳系の寺社の祭礼で盛んに行うようになったが、その折に修験たちは火渡りの儀礼を終えたあと、まだ燃え残る炭火を統御しながら、無病息災や家内安全の霊験を得ようとする信者たちに渡り歩かせることも行われるようになった。
 火渡り儀礼は世界の(注)シャーマンの間で古くから広く行われているが、いずれも火渡り儀礼によって精神的自己統一をし、霊力発揮の状態におくことが出来るといわれている。
 大館市上町の遍照院では、五月十五日の夜県内では珍しい火渡りの儀礼が行われる。真言宗医王院長久寺遍照院は縁起も古く、南北朝末期至徳三年(一三八六)、小場大炊之助義躬(よしみ)を開基とし、上金和尚を開山として常州佐竹郡小場の里に開かれた。慶長三年(一五九八)常州筑波郡小田城に移り、同七年(一六〇二)佐竹公秋田に移封とともに小場義成もこれに従った。遍照院も秋田入りし手形東新町の六供(く)(句)屋敷に置かれた。慶長十五年(一六一〇)小場家(佐竹西家)が大館に移ったのに伴い、遍照院も同地に移建された。
 遍照院の本尊は不動明王であるが、戌辰の役で焼失するまでは薬師如来であった。大館初代住職は宥賢である。寺院は総門も山門も見られず、聖天堂、淡島神社、八尊堂、千手観音堂、地蔵堂、それに庫裡本堂など堂宇が集合している形である。聖天(しょうてん)堂は歓喜天を祭っているが、夫婦和合の形像やまっか大根の天井絵、内陣絵など特異である。中央のやや広い空間で、長さ六メートル、幅五十センチメートルの溝を掘り、三俵半の炭火を真赤に燃やして不動明王にあやかる火渡り行事が行われる。五月十五日の夜は、一年間無病息災のご利益を得ようと、境内は信者や参詣人で賑う。



 ()

 『験術』

  くしき霊験ある術

 『不動明王』

 五大明王の一、大日如釆が一切の悪魔・煩悩を降伏するために変化して忿怒の相をあらわしたもの、色黒く眼を怒らし、左眼を細く閉じ、右の上唇を咬み、右手に降魔の剣を持ち、左手に縛の索を持つ。常に大火■の中にあって石上に坐す

 『火生』

  不動明王が大火■を出して世界を照らし、その火で悪魔を焼滅すること

 『三昧邪』

  一切の戒行在統一し諸仏と衆生とを平等一如に帰させる

 『シャーマン』

  巫(ふ)(蜆覡)者(しゃ)

 (本文に戻る

※■←入力不可『画像参照』