あきたの文化財(3)

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県の無形文化財  秋田八丈と秋田畝折(うねおり)」
 技術保持者滑川晨吉氏 飯塚喜市

 私たちの先人は、天然の草木をふんだんに暮らしの中にとり込んだ。樹皮を細かく裂いて製布する科布(しなふ)、藤布、楮布(こうぞ)、根皮や摘花、採取の実や葉の染汁で染織する紅(べに)花つむぎ、古代つむぎ、京都紫(むらさき)、鹿角紫、茜(あかね)、八丈などに表出する先人の英知と感性はすばらしい。草木の生命を吸いとったこれらの伝統工芸品は、没個性的な化繊文化に麻痺(まひ)した現代人に、安らぎと潤い、そしてクリエーティブな心を与えてくれる。

 秋田八丈の鳶(とび)色は浜梨(はまなし)(漢名はい瑰(かい)、バラ科)の根皮を、黄色は刈安(かりやす)(イネ科)や山躑躅(つつじ)の葉を煮出して染汁を採り、生糸を糸染めする。また黒地は浜梨に中米産の灌(かん)木ロッグウッドを混ぜ、赤地はインドネシア産の喬(きょう)木スオウを混じて染織する。
 秋田藩では千八百十四年(文化十一年)石川瀧右衛門の献策を入れ、絹方役所を設置して絹織物の開発に乗り出したが、これと前後して上州桐生から蓼沼甚平を招へいし、久保田川尻の馬場小路に住まわせ、染織の業を起して畝織、竜紋織のほか八丈などを製織した。
これが秋田八丈の創始である。秋田八丈の染織技法は金易右衛門、関喜内らによりいっそう工夫改良され、ついに県内海岸に自生する浜梨の根皮を染料とする独得の天然草木染を完成するに至った。明治四十三年那波機業所を買い取った滑川五郎氏によって技法が引き継がれ、現在、晨吉氏が県の無形文化財技術保持者の秋田八丈の一次製品として着尺(きじゃく)地、丹前地、室内装飾素材、二次製品としてネクタイ、ハンドバッグ、財布などの袋ものが織られるが、製品は年を経るほど色調に濃度を加え、より優雅さを増す特性をもっている。

 秋田畝織は生糸を原料とし、洗練過程を経ることにより、典雅で風味のある白畝織が製織される。畝織としては珍しい経(たて)畝の見える緯(よこ)畝織と、平織の組織を混じて織りあげるところに秋田畝織の特色がある。糸は織る前に充分に精練する。以前はわら火灰を用いたが、現在では、秋田八丈と同じアルカり練法である。精練後藍花を水に溶かし、その中に生糸の入った麻袋を入れ、手で揉(も)みながら青味付けをする。糸洗いをすると絹は美しい青味を含んだ光沢を放ってくる。
 この織りは、千七百八十四年(天明四年)陸奥国伊達郡木原から河辺郡石川村に移った前述の瀧右衛門により広められた。全盛期の明治年代には、畝織と八丈の両機業場は二十余を数えた。八丈同様明治四十三年滑川五郎氏により引き継がれるが、畝織は上等の羽織の裏地など高級製品のため販路が限られたことや不況と相まって、大正年間に製織されなくなった。昭和二十六年に晨吉氏がその復元に努め、同二十八年に完成をみた。製品は染着尺地、着尺地、室内装飾素材、ネクタイ、ハンドバッグ、財布などに製織されるが、優しさと気品を醸す。秋田八丈と同じく県の無形文化財の指定となり、晨吉氏はその技術保持者の認定を受けている。