東京の秋田人

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東由利町出身 小野電業社長 小野仁助さん

 ふるさとを遠く離れ、大都会の荒波にもまれながらわが道を精いっぱい歩み続ける県人たち。東京の空の下から、この道ひとすじの"秋田っ子"をさがし、その近況、望郷、心境をたずねてみた―。


安さと信用を売る
 年商なんと75億円

 活気溢れる秋葉原の電気商店街。ここには、大小合わせ四百店がたむろする。夜ともなれば、ネオンがさんざめき、八時ころまで、激しい商戦を展開している。その中で、群を抜く経営を続けているのが「オノデン」=小野電業社。国鉄秋葉原駅から一-二分。地の利もいい。何せ、昨年の売上げが七十五億。純利益五億五千万円というから、不況どこ吹く風、といった盛況である。その社長が東由利町出身の小野仁助さん。
 「商売なんて、やりようだな。安くて、信用できる製品を買える店なら、客は集まる。これからは、売り上げが大きく伸びることはない。横ばいだろう。競争だから、うちでも、都内の固定客を回って、訪問販売している。よそでもやっているのでね」
 小野さんは、ことし六十二歳。思い立って、ふるさとを離れたのが十四歳の時。小売商で十年間奉公し、じっくり商売の裏と表を学んだ。二十四歳で独立。台東区三ノ輪で店を開いた。そして、戦後の昭和二十八年、秋葉原に進出。見事な経営手腕で、いま、地下一階、地上八階のビルをデンと構えるまでになった。 
 「ここに来たら、大通りに面した店を選ぶことだ。安心して安く買えるよ。それと、二、三軒回って、よく調べてみるといい。同じテレビでも、五〇〇〇円から一〇〇〇円違うこともある。店と顔なじみになれば、よけい、まけてくれる。うちでも、そうしている」
 では、オノデン商法の秘密は何か。万事を現金で決済する経営方針にある。メーカーとの取引も現金。仕入れ値段が安くなる。だから、客にも、安い値段で売れる、ということになる。製品の回転も早い。これには大メーカーも一目置く。
 銀行からの借金はゼロ。手形も切らない。あるのは預金だけ?。手堅い経営のモデル的存在。この商法、"借金して、高い利子を払うような無駄なカネを払うことはない。それより、その分だけ安く売ることにしている"小野さんの経営哲学から来ている。
 「社員は百人くらいかな。そのうち秋田からは、女子も含め、ざっと三十人。ほとんどが、仙北、平鹿、雄勝の者だが、この連中、バカが多いよ。どこにも行けないのが、うちに残っているんだ。利口なのは、皆、独立していく」
 口が悪い。ズケズケ言いたい放題。だが、それでいて、店の一切を、同郷の専務や秋田出身の部・課長らに任せきりである。とすると、この口の悪さ、案外、信頼への反語的表現かも知れない。永年勤めるベテランがいて、オノデンは安泰なのである。
 小野さんを"変人"と言った人がいた。きざみたばこをキセルに詰める仕草は、まことに古風。その人生の辛酸をなめ、業界を知り尽くした人の言葉には、たとえ、痛烈であろうと、端々に自信が感じられる。相手の心情も知らぬ気な語り□が、或いは、変人に仕立てられたのかも知れない。が、一本筋の通った、個性的な人柄であることに違いはない。
 「年に一、二回秋田に帰るんだ。一度は、必ず十二月一日に、メーカーの人たちを連れて、男鹿にハタハタを食べにゆく。東京にもあるが、古くて、ひからびている。ダメだなあ。海からとりたての新鮮なブリコ、あれはうまい。皆、こんなうまいものがあったのか、と感心するよ。でも、ここ一、二年、不漁で、行った日に、うまいのが食べられなかった」
 いま、小野さんは、ふるさとを思い出させるものは、ハタハタとブリコらしい。冬が来ると、ハタハタの季節の到来を思わせる。その一日を、ふるさとの味に誘われて、わざわざ、遥々出かけてゆく。忘れ難い秋田が、小野さんの中の、どこかに息づいているのだろう。
 「時々、秋田から頼まれごとが来るよ。ろくでもないことだが…。温泉が出そうだからボーリングしてくれだの、杉山を買ってくれとか。先祖の遺産を食いつぶしているんだ。これはいけないよ」
 小野さんの、生きざまからは、この相談、とても許せないらしい。