話題招待席

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マタギの里のこけし工人   阿仁町の松橋良幸さん

 こけしはその素朴な美しさで多くの人々に愛されているが、今回は、マタギの里阿仁町比立内で、足と耳の障害という二重苦を克服してこけしを作り、その顔のやさしさが評判を呼んでいるこけし工人、松橋良幸さんを紹介しよう。


 奥羽本線鷹巣駅から阿仁合線に乗り換えて鈍行で一時問半。終点は阿仁町比立内だ。
 山々に囲まれた静かな山村、松橋良幸さん(五三)はここで自転車屋を経営している。
 松橋さんは家業のかたわら、こけしを作って二十五年。いまでは阿仁こけしの評判を聞いて買い求めにわざわざ比立内を訪れる人もいる。
 ホームヘルパーの松橋洋子さんの案内で、松橋さんを訪ねたのは田植えも間近い五月の中旬。
 朝九時というのにもう工房に入りロクロを回していた松橋さんに、こけし作りを始めた動機などについて話をうかがった。松橋さんは耳が不自由なので話は筆談。メモ用紙を交換しながらの話だった。


不幸をのりこえて

 松橋さんは十五歳の時に骨膜炎にかかり右足が不自由になった。不幸は続くものでその翌年今度は中耳炎のため音の世界からも見放されることになった。
 これからという時にこの不幸、天をうらんだこともあったという。
 ところが生来、明るい性格の松橋さんは不幸に負けることはなかった。
 気を取りなおして自分の生きる道を見つけることになる。
 手先の器用だった松橋さんに郵便局の自転車の修理をやってみないかと声がかかり、思案の末にこの道を選んだ。
 自転車の組み立て、分解を独力で勉強し、自転車技術検定二種の試験に合格、店を開いたのは昭和十七年ごろ、二十歳の時だった。
 良幸さんがこけし作りを始めたのは昭和二十七年、三十歳のことだった。
 当時、近所の松橋久馬さんの家に、鈴木昭二さんという青年が寄宿し、こけし作りの修業をしていた。良幸さんは仕事のあいまをぬって久馬さんの家に行き、鈴木さんがこけしを作るのを見ているうちに、どうしても自分で作ってみたくなったという。
 そこで鈴木さんに頼んで教えてもらうことにした。
 一年ほどロクロを回すことを教わってこれからという時に鈴木さんが仙台に帰ることになった。まだ色付けまで進んでいなかったので、鈴木さんの手法を思い出しながら作った。


趣味として作っていたが

 良幸さんは語る。

 久馬さんはこけしの収集家であり、こけしには目が肥えたかたなのでいろいろ教わりました。ですから私の師匠は、鈴木さんと久馬さんというわけです。
 二十五年とはいっても、趣味として作った期間が長く、本格的に作り始めてからはまだ四、五年といったところです。

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 なにぶん商売が忙しくなってきた上、店が狭くなったので十年ほどほとんど作りませんでした。
 このごろ、冬期間は自転車のほうが暇になってきたのでこけし作りに勢を出していますがなにぶんこの足でしょう。冷えると痛くてなかなか作れません。
 ことしは注文があるので春から作っていますが、一週間かかって十本ほどしかできません。
 それにこのごろは、こけしの原木を集めるのに苦労します。
 こけしの材料も、むかしは山の立木を買って八月末から九月はじめごろに根元から切り倒しておいた。葉が枯れてから小切りにして持って来ると、葉に水分がとられて乾燥しているので使い易かったものだが、今は工場から丸太を買ってきて、木どりをしてからゆっくり乾燥するので急ぐときは因ります。
 ほとんどイタヤを使いますが木を手に入れるのがむずかしくなりました


協力者に恵まれて

 ◆奥さんのふささんの話

 そうですね。私がここに嫁に来たのは昭和三十年のことですが、よくこつこつとこけしを作っていました。
 そのころはいまのように電動のろくろではなく足で回すものでしたね。
 結婚記念ということで作ったこけしがいまでもありますよ。古びて、底に書いた字が薄くなり見にくくなっていますが、このこけしは家の宝物です。
 主人は、足と耳が不自由ですが、とてもがんばりやです。
 ここに来て趣味で作っていたこけしが急に売れるようになりびっくりしています。もちろん私は主人の作るこけしの大ファンです。
 これからも、みなさんに喜んでもらえるこけしを作ってもらいたいと思います。

 ◆松橋久馬さんの話

 終戦後まもなく、去年こけしで内閣総理大臣賞を受けた鈴木昭二さんが私の家に来ていてこけしつくりの勉強をしていました。そこに良幸さんがよく顔を出してこけし作りを見ていたものでした。あまりに熱心なものだから君もやってみないかということで作らせてみたのがやみつきになったのでしょう。
 ろくろ回しに一年もかかったでしょうか。そのうち鈴木昭二さんが仙台に帰ることになり、色付けを教わらないでしまったのです。わたしもこけしが好きで、多少の心得がありましたので時々見てあげていたのですが、あの不自由な体でよく頑張りました。
 いまぼつぼつ売れてきていますが、これに満足したいで、さらに努力していいこけしを作り阿仁の名を高めてほしいと願っています。


独創的なこけしを

 ふたたび良幸さんの話。

 私はまったく趣味でこけしを作ってきました。最初は作っては人にあげていたのですが、それが目につき、しかも売れるようになりびっくりしています。
 まだまだ未熟なので、いまのところ同じようなこけしばかり作っていますが、このままでは人のものまねの域を出ません。
 これからは自分独自の型のこけしを創り出しこれを本物の"あにこけし"として出したいと思っています。そのためにも県内各地の工人と会って話したいと思いますが、足がいうことをきかないので残念です。
 ここまでやってこられたのも鈴木昭二さんと松橋久馬さんの激励と指導があったからこそです。二人には本当に感謝しています

 不自由な足、耳という二重苦を克服し、一所懸命生きて来た良幸さん。よき師、よき隣人、よき家族に恵まれた松橋良幸さんが作ったこけしの顔は、どれもやさしくほほえんでみえた。