郷土拝見(第2回)

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太田町

田沢疎水で大きく成長  〜秘境薬師連山と真木渓谷〜

 仙北郡大田町は、この四月一日に町制を施行、村"から町"へと装いを新たにしたばかり。もとの横沢、長信田の両村が合併、手を取り合うことの喜びにひたったのは三十年三月のこと。それから十余年、新村建設に励んできたが、今また、心機一転していっそうの躍進に燃え、新しい町づくりに勇み合っている。
 人口は八千六百人、そそり立つ奥羽連峰のふもとにあるこの町は、高台なため、昔から水利に恵まれなかった。やせた火山灰土に頼ってきた農民は、それだけにいっそう苦しみも多かったのだが、いまでは近代農業土木によって田沢疎水が引かれ、美田が開発された。この開田地帯には、トラクターが縦横に走り、以前には考えられなかった機械化農業が展開されようとしている。


町づくりは急ピッチ

 穀倉仙北平野の東南、岩手県と接し、六郷町と角館町の中開に位置する純農村。昭和十二年以来、戦争によるう余曲折はあったが、広大な未利用地開発のための国営田沢疎水事業、それに続く三十八年からの第二田沢疎水開拓事業によって計千二百ヘクタール、の開田が行なわれ、県内では大潟村に次ぐスケールの大農村となった。
 これまで付近をおおっていた黒松林や、原野はあとかたもなく、切りはらわれ生まれ変わった見事な田地が、山すそまで広がっている。松林の中を県道が横切っていた、つい数年前のおもかげはまったくない。
 町の中央部を縦断する幹線水路、斎内川を横断する巨大なサイホンは、近代農業を象徴するにふさわしい威容だ。

 大曲駅からバス(長信田行き)に乗ると、三十五分で役場につく。かつて横沢と長信田の中間の原野に、役場だけがポツンとあったきりのが、いま太田中学校、秋田法務局太田出張所、警察の部長派出所、営林署の長信田担当区、第二田沢建設事業所太田支所などが集結、さらに近く共同農業倉庫が完成するので、さながら太田町の官公庁団地となった。これを中心に公営住宅も建設され、近年その連たん状況もいちじるしい。
 町内を横断する県道角館―六郷線の舗装が進み、ほかの県道もそれぞれ改良が終っている。これらの主要道路には、長信田―大曲線、角館―六郷線、横沢―大曲線、川口―大曲線のバス路線が増発され、町内を鉄道や国道が走らない不利を補なってきた。
 ことしからは山村振興法による道路改良、生活改善センター建設なども着工される。またモダンな統合中学校の建設も一段落したので、大曲農定時制太田分校も独立校への昇格をめざして整備する。町内三つの農協もこの七月に大同合併したなど、町制施行に伴う町づくリヘの意欲は十分とみた、


自慢の町営区画整理

 町長は石崎克平氏。三十四年の就任以来、すでに三選をなし遂げている。全国にさきがけて町内の耕地整理事業を町営(当時は村営)でやってきたというのが自慢げであった。
 耕地が、町の生命だけに、農業の生産基盤確立に対する熱意も大きく、合併後から土地改良事業に取り組み、千百ヘクタールに及ぶ圃場整備と農道網を完成、生産性を大きく高めている。現在まで国見地区を除いた田地の総面積の四分の三は、区画整理田となった。
 田の区画整理は、土地改良区が行なうのが他町村の例で、役場の機構に土地改良課があるのは県内でここだけだろう。
 石崎町長は、

 村がバックアップしているという安心感を農民に与えたため、事業も順調に進み、大きな成果をあげた。自主流通米をめぐって農政問題が大きく揺れているようだが、農業基盤が一応完成した町の大部分の農家は、動揺も比較的少ない。ことしから実施される県営仙北平野用排水事業とともに、国見地区の、区画整理や開田を行なうが、態勢が軌道に乗っているだけに何らの支障もないだろう。

といっている。
 区脚整埋もさることながら、なんといってもこの町は、前述のごとく、田沢疎水と第二田沢疎水によって大きく成長したといえよう。田沢疎水で七百ヘクタールを開田、さらに第二の方もことしでほぼ完成するが、四百五十ヘクタールの作付が予定されるという。開発前の耕地面積は千七百ヘクタール、年間の売り渡し米もせいぜい三万俵足らずの小山村が、今秋には二十万俵の売り渡しが見込まれ、単一農協としては全県一という屈指の米どころとなった。

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 角館、千畑、中仙など田沢疎水関係町村中最大の聞田を行ない、町の田地は二千八百ヘクタールと以前の六割以上も増えた。この土地を入植者や、既存農家に配分した結果、平均耕作面積は二ヘクタールとふくれあがった。第二田沢関係では田畑輪換方式が採られている。
 この間、農業技術の進歩にともなう増収も計算の中に織り込まなければならないが、、農業土木の進歩がもたらした新興近代農村といわねばなるまい役場前に開田竣工記念碑を建てているが、まさに田沢疎水様々であろう。


期待かける観光資源

 太田町の今後の課題となるものの一つに、観光と鉱山の開発があげられよう。観光資源としては真木、川口の両渓谷のすぐれた景観がみもの。
 川口渓谷には、昨年から鹿子温泉も店開きした。温泉は川口鉱山廃鉱の近くに湧出したものだが、現在は二十六度の冷泉。バスの終点から徒歩なら四十分はかかる。それでもマイカー時代の世の中、農閑期など毎日四五人も保養に訪れる。
 沢隣りの真木渓谷は、バスの終点から徒歩三十分。玉川支流の斎内川上流で、スケールの大きい渓谷美を見せる。
 ここも昨年あたりから林道の開発で自動車が奥深くはいれるようになった。途中で数本の渓谷に分かれ断崖の中には七瀬の大滝など大小二十の滝がある。二つの発電所もあり、国有林(ブナ林)の開発にも手がつけられ始めた。川口、真木両渓谷にも、"春は山菜、秋はキノコの山の幸、ヤマメ、イワナの川の幸が抱豊富だ。

 また奥羽山脈の背梁、薬師連山が本格派の登山コースとして全国の愛好家に知られてきた。ここ数年、県内はもちろん、関東、関西各大学山岳部、生物研究班が、柏次いで来町、登はんを試みている。
 この山缶地帯の魅力は、人工に汚されない自然の美しさであり、荒々しさ、きびしさであろう。県内の山がいずこも観光地化される昨今、せめてここだけはそっとしておきたいものだ。高山植物も豊富で、めずらしい動物群も寄生している。真木渓谷が登山口となるが、昨年の県体には、真木―薬師岳―和賀岳―白岩岳―角館が登山コースとなった。
 このほか町には大台公園というサクラの名所があり春の開花時には、大曲方面から遊山客がくりだす。国見部落には、県の無形文化財、民俗芸能の国見ささらが保存されている。
 いまは、八月一日から二十日まで、産土神の八幡神社の例祭十五日を中心に、部落の家々を、盆の精霊を供蕎しながら演舞する。

 この町は一帯が草原や林であったこともあって、千数百年前はエゾがはびこっていた。長信田小学校付近は"古館"と呼ばれ、広い池や館のあともあり、昔の面影をしのばせる。
 また源義家が奥羽征討にやってきたとき、この地へ駐留したといわれ、真木部落には義家の祈願寺であったと伝えられ、八幡太郎源義家の中の二字をとった源太寺跡が現存する。
 町が生んだ人物には仏画家、鈴木空如氏(昭和二十一年没)がいる。一生を仏画の模写にささげたが、昭和二十四年、法隆寺金堂内陣の壁。画が焼失したとき、突如、画伯の原寸大精密、全着色の模写が全部の壁面にわたって完成されていたことが世に現われ、その偉業が明らかにされた。
 また"秀麗無比なる息海山よ"という前の県民歌を作詩した倉田松濤(昭和初頭没)もこの町の人。本来は画家であったが詩もよくした。このほか、多くの先覚者がでている。