全国植樹祭の開催迫る

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その意義と秋田の林業振興の課題

 きたる五月十九日、天皇、皇后両陛下のご出席のもとに第十九回全国植樹祭が田沢湖畔で開催される。この緑の祭典を機に、郷土を緑の山林で包み、そして秋田百年の大計を画く願いをこめて、その日を迎えたいものである。



 県民待望の全国植樹祭を一年後にひかえた昨年の七月二十六日――真夏の太陽が青い湖面いっぱいに照りつけるなかで、全国植樹祭の会場づくり(整地)を開始する"クワ入れ式"が仙北郡田沢湖町春山の大森山で行なわれた。この儀式には約五十人の関係者が出席して神事によりおごそかに行なわれ、全国植樹祭の成功を祈りながら松橋県副知事らがクワ入れをした――
 あれから七カ月、会場予定地の整地も終わり、あとは雪どけ後の総仕上げを待つばかりとなっている。
 会場地に決まった田沢湖畔の大森山は田沢湖駅から約七キロ、昨年完成した有料道路に面する台地で、湖水をすぐ近くに眺望できる周光明美なところ。広さは約十ヘクタールで、ここに一万五千人の人々が全国から集まって、両陛下のお手植えを中心に第十九回全国植樹祭の行事が盛大に繰り広げられることになる。
 両陛下がおそろいで本県を訪れるのは秋田国体以来七年ぶりのことになるわけだが、ここで全国植樹祭の開催地として秋田県が登場することになった経過と準備体制のあらましについてふれてみよう。



成功した積極的な誘致運動

 一昨年の暮れ、第十九回全国植樹祭の開催地に秋田県が決定し、天皇皇后両陛下がご来県することになった、というニュースを知った県民は、その突然の朗報にビックリしたのだった。
 しかし、これはなにも突発的な決定ではなく、それだけの理由、積極的な働きかけがあったからこそ実現したのだった。
 つまり、二年前の四十一年五月、緑化運動の関連行事として田沢湖町で全県植樹祭が開催されたのだったが、乳頭、駒ケ岳の雄大な山なみを背景に、輝やくような新緑が田沢湖に映える風景に魅了された関係者一同の中から"この美しい自然を持つ秋田県で全国植樹祭を開催すべきだ"という声が一致して盛り上がったのがことの始りである。
 これを契機に、さっそく同年八月『全国植樹祭誘致委員会』が県庁内に設置された。一方、秋田県議会では九月定例議会で全国植樹祭の本県開催の決議案が可決された。そしてただちに県知事、県議会議長、県国土緑化推進委員会委員長の連名で、国土緑化推進委員会、それに宮内庁などに対して陳情書を提出すると同時に、積極的な誘致運動を展開した。

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 その間、県内市町村から開催地への立候補が相次いだ。男鹿市の八望台付近、秋田市の仁別田沢湖町春山、雄和村の高尾山由利郡の南由利原、五城目町の高崎地区などが、こぞって県に対して波状的な陳情をくり返した。
 しかし、誘致委員会が会合を重ねるにつれて、候補地は次第にフルイにかけられて脱落。これは日本三大美林の一つに数えられるスギがあるのに、ほかの樹種を選んだのでは本県開催の意味が失なわれるという意見が強く、第一条件として秋田スギの成育適地であることがあげられたためである。
 その結果、風景は申し分ないが岩石が多く、塩害のおそれがある、場所がせまいなどの理由で八望台周辺と、高尾山は落選した。
 また全国植樹祭は約一万三千人の参加が予想される大がかりな行事であり、このため(1)会場は約十ヘクタールの面積が必要(2)両陛下の宿舎から自動車で四、五十分で行ける場所(3)約四百台の自動車を収容できる駐車場があること(4)県外客の宿泊施設が完備したところ――などの条件がそろっていなければならない。
 そこで候補地はさらにフルイにかけられ結局、秋田市仁別と田沢湖町春山の二カ所が残ったしかし、仁別で開催するには多額の工費をかけて道路を舗装しなければならず、また田沢湖町春山には両陛下の宿舎がない、という難点が出た。
 結局、誘致委員会ではこの二カ所を並記して国土緑化推進委員会に答申した。
 四十一年十一月、徳川国土緑化推進委員会常任委員長が楠同事務局長と共に来県、開催候補地の田沢湖町田沢湖畔と秋田市仁別の二地区について現地調査が行なわれた。
 その結果、十二月九日付で国上緑化推進委員会会長から四十三年の全国植樹祭を秋田県で開催することに決定した旨、秋田県知事あてに通知があった。これに続いて開催場所は田沢湖町田沢湖畔が適当と認め、同委員会で内定した旨の通知を受理した。
 明けて四十二年一月、全国植樹祭の開催に必要な事業を行なうため『全国植樹祭秋田県実行委員会』を設置。さらに三月には県庁内に『全国植樹祭準備事務局』を開設し、松橋副知事が準備体制の総指揮をとることになった――というのがこれまでの経過である。


急ピッチで進む準備態勢

 そして、全国植樹祭を開催するための具体的な事業は、昨年雪融けを待って一斉に開始された。まず、両陛下の宿舎は田沢湖高原にある"駒草荘"を増築することになり、地元田沢湖町の手で、総工費五千五百万円で着工。昨年十二月建設工事が完了した。現在、調度品などの内装にとりかかっているところだが、三月中には全部が完成する予定である。
 道路関係では、田沢湖駅から田沢湖畔にいたる県道と、田沢湖畔から田沢湖高原までの県道の舗装工事は、すでに九〇パーセントを終了。雪融けを待って残りの工事を完成させることになっている。
 全国植樹祭に参加が見込まれている人たちは約一万五千人だが、その県外招待者三千三百人と、県内招待者一万二千人に対する案内状を県で作成中であり三月一日をメドに発送できる段階にある。
 この招待者のうち、県外招待者の宿舎が問題となるが、会場付近に宿泊を希望する者を千名と見込み、田沢高原と国民休暇村地区(十四軒)に各大臣、国会議員、各県知事、役員、林業功労者、報道関係者など三百五十人を収容。また、生保内、角館、大曲地区(十二軒)に県外関係者二百七十人を収容するほか、岩手県繋温泉(十軒)に東北本線経由で来秋する中央関係者四百人が宿泊できるよう準備をととのえている。
 このほか地元報道関係者、大会事務局関係者などを対象に、田沢湖畔(七軒)に三百名の収容を準備している。
 各宿舎と会場を往復する輸送計画では、大型バス十五台と乗用車百五十台を準備、万全の体制がとられている。

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 また一万二千人におよぶ県内参加者に対しては、各市町村単位に一定の乗車地点を決め、バス二百五十台、乗用車五十台で会場まで輸送する計画。
 そして当日の混雑を避けるため、各車は生保内中学校グランドに設けられた自動車集結所に集められ、ここで時間調整一をしながら会場へ向うことにしている。
 一方、当日の荒天など非常の場合にそなえて、田沢湖町体育館(昨年十二月完成)で植樹祭行事が開催できるよう、別途に準備体制がすすめられている。


祭典だけでない植樹祭の意義

 わが国で全国植樹祭が初めて開催されたのは昭和二十五年だが、以来昨年の岡山県に続く本県開催で十九回を数えることになる。全国植樹祭は通称であり正確には『植樹行事および国土緑化大会』と呼ばれる。
 両陛下の苗木のお手植えを中心に行なわれる植樹行事(田沢湖畔)と国土緑化大会(田沢湖畔)、それと両陛下が木の種子をお播きになるお手播き行事(県農業試験場)の三つの植林関係の催しが含まれているほか、両陛下の県内ご視察(田沢湖町秋田市、男鹿市、大潟村、大館市など)が主要行事となる。
 あらためてふれるまでもなく全国植樹祭開催のネライは表面的な"祭典"だけで終るものではない。戦中、戦後の無計画な乱伐のため、いまだにハゲ山の多い県土を再び緑で包むため、天皇、皇后両陛下がおいでになる全国的な行事を誘致して、県民の愛林、植林意識を高めるのがそのネライである。
 ことに秋田県の林業はいま重大な転機にさしかかっている。
 林野は県土の七〇パーセントにあたる八十四万ヘクタールに達しており、このうち三十九万ヘクタールが国有林、四十四万ヘクタールが民有林になっている。
 だが、過去の乱伐が大きく影響して国有林の天然スギが減り出して、ここ十年以内で秋田スギの天然林が姿を消しそうだ。また民有林も植林、育林が進んでいるものの、まだ幼令林が多いのが悩みのタネ。
 このため県民総所得中に占める林業所得の割り合いは次第に下降線をたどり、県経済での地位は低下しつつある。しかも全国的に木材需要が増大するのにかんじんの県内資源の絶対量が足りないのだから、将来の見通しは暗い。業界では難関を乗り切るために、外材の輸入に依存する動きが強まっているが、やはり抜本的な長期対策としては県民全体の植林意識を高めることに帰結する。


広い林野 不足な木材

 わが国の総面積三千七百万ヘクタールのうち、二千五百万ヘクタール、約七〇パーセントが林野であるけれども、この大きな割合を占める林野から生産される木材だけでは、わが国の木材需要がまかなえきれない大量の木材をアメリカ、カナダ、ソ連、東南アジヤから輸入して需要を満しているのが現状なのだ。外材の輸入量は年々増大の一途をたどり、昭和四十一年には金額にして六億七千万ドル(二千四百十二億円)に達し、石油類に次いで第二位を占めている。
 広い林野がありながら、国内の木材需要をまかないきれないことは、大面積の非生産林が存在していることと、増大する需要量に平行して木材生産が伸びないことを意味しよう。
 木材への需要は年々高まっているが、反面、森林資源の不足は世界的な傾向になってきている。このため森林資源の『高度利用』と『造林』の促進が大きな課題となっている。高度利用は科学の進歩で年々解決されているが、造林は三十六年をピークに全国的に下り坂というのが現状。ただ本県は、わずかながら上昇をみせている。といっても県内需要は過去五年間に三倍増となり、県内供給童を上回ってしまった。
 本県の木材生産量は二百二十万立方メートルで、北海道に次いで第二位の生産県である。なかでも杉用材では一位、全国生産量の一割を占め、全国的に高い地位にある。そして林業生産所得は過去五年間に七〇パーセント増の百七十億円を示した。
 しかし、このように生産はふえたが需要にはまだまだ追いつかない。そればかりか、県内には生産性の低い山が多い。このため育林方式の改善、流通機構の合理化、低質広葉樹の利用開発、外材の合理的導入を総合的に進めることが重要な課題となっている。

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 県内の山で特に問題となるのは民有林である。国有林三十九万三千三百九十七ヘクタール、蓄積量五千九十八万立方メートルに対し、民有林は四十四万二千三百五十七ヘクタール、蓄積量二千二百十七万立方メートルであって、面積にくらべ蓄積量が極端に少ない。これは人工林に幼令林が多く、天然林には薪炭林や老令林が多いためで、民有林の体質改善が急がれているわけである。
 最近、薪炭の需要が激減したことから、広葉樹(雑木)の活用が大きな課題。県の第二次総合開発計画では、この未利用広葉樹の活用、人工造林の増大、入り会林野の整備が大きな柱となっている。
 つまり、未利用広葉樹を抜伐してパルプなどに活用すると同時にその山へスギの美林を人工的に造成する。そして入り会い林野を近代化し、造林事業を促進することによって、約六千人の人たちが出かせぎのない山の生活を楽しめるようにするのが目的である。
 昭和四十五年までに十四万五千ヘクタールの民有林の人工林面積を二〇パーセント増の十五万三千ヘクタールにする計画で、昭和七十年までに民有林の六〇パーセントが人工林になる予定。現在年問八千ヘクタールの造林が進められており、今後この造林速度が早まることが予想されるので、六〇パーセント人工造林は昭和七十年を待たなくても実現しそうである。


災害を防ぐ緑の山林

 本県面積の八○パーセント近くを占めるのが山林。その約半分が民有林、またその六二パーセントが雑木林や荒れ地として放置されている。
 林野があまり活用されない原因は、四、五十年後でなければ収入面に現れない。資金や労力がなかなか思うようにならないことなどである。
 しかし、集中豪雨の災害地をみると、その地域の荒れた山が大きな原因となっている。いくら下流の堤防を強化し、河川を改修しても、水源地の整備がおくれては意味がない。災害を未然に防ぐということからも、造林事業が重要な役割りを果たすことになる。
 このため大面積森林所有者、市町村有林野の造林を進める。民有林の三七パーセント、十六万五千ヘクタールにおよぶ入り会い林野を近代化し、生産森林組合などの育成による造林をはかる。また県林業公社が自営造林の困難な林野を対象に分収林方式による造林を進めるという方向で、県では関係者に"緑化推進"を強く働きかけている。
 木材関連産業の振興も、緑化推進と共に注目される。現在行なわれている業者への機械貸付制度は、木材産業の近代化に大いに力となってきた。しかし、これだけでは十分ではない。これからは業界の整備統合が大きな課題となってくる。業界では"統合"の必要を感じ、思い切った体質改善をしようという動きもでてきた。
 木材関連産業の振興で大きな動きを見せているのは船川地区に建設が進められている木材コンビナートである。問題の漁業補償も解決、海岸沿いに埋め立て工事が進められている。工事は四十四年までに五億四千五百万円で、工場用地二十四万四千平方メートル、公共ふ頭用地二万四千平方メートルを造成する。
 今年中には進出十九工場の土地買収が終わり、早ければ一部工場は年内に着工、来年中には第一期分の木材コンビナートが形づくられる。工場は製材、家具、建具、チップなどで、将来はパルプから第二次加工合板までに業種を発展させる計画である。


郷土を守った先覚者の偉業

 私たちの生活と"木"との関係は深い――。
 雪中の樽丸材の荷造り。大きなカゴのように山と積んである板を、四斗樽六個分ずつたばねて輸送する。節のない良品は酒樽に、ほかは醤油樽などになるのだが、東北の灘ともいわれる"秋田の酒"は良質な秋田米と水、それにこの秋田スギの樽が生んだ味である。酒を汲みかわしながら食べる冬の"キリタンポ"は、いまでは全国的に知られる郷上料型の一つだが、これも秋田スギの香り高い串にかためて焼く。寒い北国の冬、体を温めるこのキリタンポは、もとをただせば樵夫や狩人たちの携帯食だったというのも秋田スギの土地にふさわしい。

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 大館の曲わっぱ、角館の桜皮細工、それに能代の春慶塗、その一つ一つが雪に閉ざされた生活のなかで民衆がつくりあげ、ひきついできた芸術品といえよう。
 栗駒山ろくの秘境、木地山部落に天正年間から伝わる"木地山こけし"もまた生活と共に育ってきた価値ある民芸品である。
 いにしえに目を転ずると、八世紀〜九世紀ころ蝦夷地開拓の拠点となった払田柵の柵は、みごとな杉の角材であったといわれる。また、十六世紀末の慶長年間、豊臣秀吉の伏見城修築にあたり、秋田から敦賀に送られたぼう大な建材も秋田スギである。現在でも私たちは西本願寺の大玄関、同客殿などにその遺構を見ることができる。
 近世にいたって佐竹氏就封以来「国の宝は山の宝なり、山の衰えは即ち国の衰えなり」と唱えられ、秋田スギは藩の重要な資源となった。その後、乱伐、その他の幾多の変遷ののち、秋田スギの美林の生みの親となった賀藤策林の功績も忘れてならない。
 景林は文化二年(一八〇五年)藩主佐竹義和から山役人に命ぜられた人。当時藩内の山林は三分の二ほど切り尽され、荒廃していた。その山林の危機を救うために自ら先頭に立って植林に努めた造林の先覚者である。
 この景林の努力が佐竹藩の林政改革に踏み切らせる原動力となり、秋田藩林政を確立した。日本三大美林の一つとまでいわれる秋田スギのみごとな林相は景林の力におうところが多いのである。
 景林と並んで栗田定之丞の功績も大きい。日本海岸ぞいの砂丘のなかで、もっとも開拓のすすんだ秋田砂丘も一朝にしてなったのではなかった。
 一八二〇年の文政年間、砂防林造成の藩命をうけた栗田定之丞の十八年間にわたる大自然との苛烈な戦いが始まる。風砂のなかに起居し、人々の迫害に抗しながら、ときには私財まで投じてグミの木や柳を植え、松苗三百万本の植林を行なった。
 秋田砂丘には当時のクロマツが見事に育ち、街道ぞいには立派な松並木がいまも残っている植林の事業はその後もひきつがれた。開拓された砂丘の砂防林のなかに建つ粟田神社(秋田市新屋)は、この植林の先駆者、定之丞を祀った神社である。


ふやそう県民の緑化の芽

 あと三カ月後の五月十九日、仙北奥地の山々にも春の陽光があふれ、輝くばかりの新緑に彩られた田沢湖畔で、いよいよ全国植樹祭が開催される。
 天皇、皇后両陛下がおそろいで米県されるその日を、県民こぞってお待ちしているところだが、両陛下の正式なご日程は一カ月前に告示されるのが通例であり、いまのところは残念ながら不明。しかしながら五泊六日程度のご日程で本県にご滞在されるのはほぼ確定的である。
 両陛下は全国植樹祭の前日、五月十八日朝、皇居をおたちになり、お召列車で東北本線経由で盛岡から田沢湖線を通り、同日夕方ころ田沢湖駅にご到着。新装なった駒草荘の宿舎で旅装をとかれるものと思われる。
 そして翌十九日は田沢湖畔で開催の全国植樹祭にご出席。二十日には秋田市仁井田の県農業試験場で秋田スギの種子を"お手播き"になられる。これらの行事の終了後、県内各地の産業と観光などをつぶさにご視察になられる予定。
 ご視察箇所は秋田港、男鹿半島、八郎潟干拓地、大館市の黒鉱などが候補に上げられているが、秋田国体時のご視察箇所とダブらぬよう考慮しながら決定されるものと思われる。
 全国植樹祭の会場となる湖畔の大森山は湖岸からなだらかな斜面で続く芝生の丘。眼下に伝説の湖、田沢湖がいっぱいに広がる。田沢湖駅から車で二十分湖畔を走る有料道路のすぐそばという地の利と、湖に迫る雄大な駒ケ岳を一望できる景勝地。ここに一万五千人の人々が全国から集まってくる。

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 会場(二ヘクタール)には世界の木、県主要樹、市町村の木が植えられるほか、日本の国を型どった地図のうえに各都道府県の木も植樹される。また会場の隣接地十ヘクタールには秋田スギの苗約四万本が記念植樹される。さらにこの地域約百四十か(県有林、国有林の合計)を『県民の森』として整備する計画がある。これは全国植樹祭と明治百年を記念して、県第二次総合開発計画の線にそって実施するもの。また、同開発計画では市町村ごとに一市町村二十ヘクタール程度の『郷土の森』を指定、三年計画で大がかりな造林事業が行なわれる。
 一方、都市部では市民のいこいの場となる『緑化公園』をつくる。また『国民の森』に指定された秋田市仁別に、県でも施設面で協力することにしているこのような大がかりな造林と並行して、生活環境の緑化も活発に行なわれる。これには苗木をあっせん配布して、家庭の緑化、公共施設の緑化をめざす計画である。
 みんなが緑化に関心を示さなければ、郷土を緑で包み、水害を防ぐ―造林という大事業は実現しない。田沢湖畔で開かれる全国植樹祭を機に、県民の間に"緑化の芽"がめばえ、やがて新しい秋田百年の巨大な発展へつながっていくことになるであろう。



秩序正しくお迎えしよう
先頭から2番目がお召車

 天皇、皇后両陛下は秋田県で開かれる第十九回全国植樹祭にご出席のため、五月十八日に田沢湖駅にお着きになります。そして五泊六日のご日程で県内各地をご視察になる予定です。
 季節的にも絶好の行楽シーズンであり、各地ではたくさんの人や車で混雑することが予想されます。両陛下のお迎えにあたって事故が起きないように、また道路交通をスムーズにするため、一人一人が交通ルールを守り、なごやかなうちにも秩序正しくお迎えしたいものです。
 両陛下のお召自動車は、先頭のオープンカーの次ぎで、自動車のボンネット先端に天皇旗が立ててあります。天皇陛下はお召自動車の進行方向に向って右側、皇后陛下は左側にお乗りになります。お召自動車の進行速度は、市街地では時速十五キロのゆっくりしたスピードです。そのほかのお道すじでも、たくさんの人がお迎えしているところでは、ゆっくりご通過になります。
 駅前や交差点、ご視察先、お泊所付近は非常に混雑するので老人や子ども連れの方はなるべくお道すじでお迎えしましょう。お迎えに旗を持つ場合、柄を長くすると混雑で隣りの人にケガをさせたり迷惑をかけたりすることがあるので、なるべく短かめのものを持つように。
 お召自動車の列に紙ふぶきやテープを投げるのは危険です。また、道順付近の飼犬は必ずつないでおくこと。
 写真撮影のため、整理区画を越えてとび出したり、お召自動車の列を追い越して走ったりするのは事故のもとになりますから、お互に注意しましょう。