中山善三郎連載対談
アナウンサー 和田実枝子 氏

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信賢氏パリに客死す

中山

 和田さんの場合、おなくなりになったご夫君の和田信賢さんのことがことさら有名でしてね……。ところが息子さんはだいぷ大きく――。

和田

 それが娘でございまして…。中学三年でまだ十四歳でございます。

中山

 早いものですね。信賢さんのおなくなりになったのは、たしかパリでしたね。あれは、どのオリンピックの時でしたっけ?

和田

 ヘルシンキ大会でした。

中山

 そう、そうでしたね。とするとオリンピックにお出でになっていて急に発病されたのですか?

和田

 病気の根は、前からもっていたと思うんです。でも、仕事魂といいますか、自分でもそれをウスウスは感じていながらも、皆にひた隠しにして行ったというのが本当のところだと思うんです。

中山

 あなたには、その病気のことがおわかりにならなかったのですか。

和田

 え、ですから私はたいへんな悪妻なんですの。

中山

 ……悪妻って…

和田

 普段から血圧の高い人だったんですもの。

中山

 そうでしたか。

和田

 でも、それほど高い、ということは私にもいったことはありませんし、それに医者が大嫌いでして、たとえば海外に渡航する場合には必ず予防注射をしなけりゃならないのに、それすらもなんとかゴマかそうとするほど医者嫌いでしたから、つい私もあまり健康のことにはうるさくいえなくて…

中山

 ふだん、お酒はだいぶ召しあがっておられましたか。

和田

 ええ、それはもう…

中山

 それにしても、歴代NHKには名アナウンサーがいますが、あなたのご主人ほどの名アナウンサーというのは、私、知りませんね。

和田

 そうでしょうか。

中山

 惜しかった。早くになくなられたのは、ほんとに惜しまれます。

和田

 でも、アナにもいろいろなタイプの人がいまして、今生きていたとして果たしてどのようになっていたかは、私にもわかりませんね。

中山

 しかし、あれだけ仕事に熱心なかたというのは、ちょっと珍らしいですね。たいしたものでした。

和田

 そうですか。

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中山

 で、あなたは和田さんとのご結婚を前提としてNHKを辞められたのですか。

和田

 そうです。和田が、共稼ぎは絶対にいやだと申しまして、それに私たち職場結婚の第一号ではなかったかと思うんです。NHKに夫婦ご一緒で勤めている人の例がなかったものですから……、もし、どちらかが辞めるとしたら、やっぱり私ですから。

中山

 で、いったんアナウンサーという職業から主婦業に転ぜられて、ご夫君をなくされてまたカムバック…

和田

 え、こんどは生活の資としてやむをえませんので…

中山

 女手一つで、お嬢さんを育てられるにはいろいろご苦労があったこととお察しいたします。でも、もう十四歳ですから、あと一息ですね。

和田

 え、まあそうですね。


郷愁かたくりあさずき

中山

 和田さんのおとうさんは秋田市新屋のご出身ですね。ぽくは、いろいろな秋田の女性のタイプを見てるんですけど、生ッ粋の秋田の女、土崎港の女、横手の女などとタイプのあるなかで、新屋の女というのは非常に明るくてキビキビしていて、なにかファイトに満ちあふれているような感じを受けるんですけどもね。

和田

 そうですか。新屋の女は働きものだ、ということはいわれるようです。でも、働きものということになれば私なんかは例外ですけどもね。(笑)

中山

 ご両親とも秋田県人ですが、和田さんのお生まれになったのは東京なんでしょう。

和田

 え、東京です。

中山

 でも、お家は新屋のほうに…

和田

 父の生まれた家がありましたから、こどもの頃は夏には必ず海水浴に秋田へ来ていました。

中山

 新屋浜ですね。

和田

 え、雄物川が今のような形になる前の新屋浜です。

中山

 改修工事前で、曲りくねっておりましたね。ぽくも、よく新屋浜へは泳ぎに行ったものですよ。

和田

 そうですか。あの浜は、とてもきれいですものね。水も、景色も…

中山

 砂山のいちめんハマナスの花が咲いていて、ぼくにはそれが今でもとっても懐しいんです。

和田

 あれには真赤な実がなりましてね。近頃は、あまりみられなくなりましたね。

中山

 そうです。あの赤い実のままお盆には仏壇に飾ったりしましたね。こどもの頃、しょっちゅう秋田へいらしてたのなら、秋田の食べものなんかにはおくわしいでしょう。

和田

 というより、食べる機会が多いんです。姉が秋田におりますし…、

中山

 姉さんとおっしゃいますと、長谷山行毅さんの奥さんの長谷山包子さんですね。県の教育委員長をやっていらしたのではありませんか。

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和田

 今は辞めました。ですから、山菜などは送ってもらって春には必ずいただいています。
 子どもの頃、お盆に秋田で食べたので今でも忘れられないのは「かたくりあさずき」です。甘酸っぱい味とトロリとした舌ざわりがよくて、それに中には枝豆の実や梨、千切りの茗荷、栗の簿切りなど、色とりどりに入ってるのが見た目にも涼しく…。今作っても作れないことはないと思いますが、果たしてあの頃の味覚がよみがえってくるかどうか、むしろ思い出の中にそっとして置きたいと思っています。


華々しき大島一族

中山

 お姉さんの話が出ましたが、NHKテレビの「こんにちは奥さん」のホステスとして活躍中の五代利矢子さんはお妹さんなんですね。ご姉妹がみなご立派で、うらやましい限りです。

和田

 たまたま偶然なんです。お互いがどうしたというわけではなく、皆別々の道に進んでいるうちに、こうなっちゃって…。妹を私が紹介したんじゃないかっていわれるんですけれども、あれは全然違うルートで私も知らなかったんです。

中山

 皆さんが東京の学校を出られたのですか。

和田

 姉は東京ですが、妹は戦時中に疎開して新屋の日新小学校から、今の北高出身なんです。

中山

 男のご兄弟は……。

和田

 二人います。上が兵学校出で今は江田島の海上自衛隊関係の教官をしていますし、もう一人は明電舎。
 父が一生あんまり仕事をしないで終りましたから、私ども一家は女にいたるまで一生あくせく働かねばならないのか、と時々話しあうんですよ。

中山

 新屋の大島家というとなかなかの名家で、ぽくら子ども心にもその声望をおぼえていたものです。
 劇作家の青江舜二郎君……本名長三郎君はご親滅でしょう。ぼくの中学校の同級生なんです。彼は…和田親類です。あの人が学生時代に東京へ出ていらした時は、よく私たちの家へ見えられて一緒に遊んだ仲です。

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中山

 そうですか。で、またお仕事の話になりますが、今はNHKラジオで"婦人学級"を担当していらっしゃるようですが、沢山の違った年齢層のかたを司会なさるのは大変でしょう。

和田

 司会のむずかしさを骨身にしみて感じています。司会というのは全神経が四方前後に張りめぐらされていなければならないんですね。その緊張といいますか、もちろん頭の働きもありますが、張りつめた精神力の方が相当ものを言うんです。ですから、若いピチピチしている年代の方に向いている仕事じゃないかと思います。

中山

 それも一面でしょうが、やはりあなたのような経験豊富な幅の広い人がいいと思いますね。

和田

 私たちアナウンサーは、司会を含めて、その道の専門家といえるかどうか、このごろちょっと考えてしまうんです。それは専門職というよりはその人の適性とか、その人の勘の良さとがものをいうじゃないか、とね。もちろん修練も大切ですけれど…

中山

 このごろテレビなんかをみていて、司会をなさるアナウンサーのご苦労を想像することが多いですね。

和田

 画面に出て司会する人は一人ですが、それをバックアップしている人がいっぱいで大変な仕事なんです。

中山

 それだけにうまく行った時のよろこびはひとしおでしょう。

和田

 うまくいって喜びを味わえるということがどれぐらいありますでしょうか。むしろ司会をしている人は、砂をかむ思いで自分の仕事のあとを見ているのではないでしょうか。私もそのほうが多くて……。



 大正六年五月、秋出市出身者を両親として東京に生まれる。東京女子大英文科卒業後、NHKでアナウンサー生活を三年送り和田信賢氏と結婚のため退職したが和田氏の死後フリーのアナウンサーとして現在NHKの「主婦日記」など婦人番粗の司会者として活躍中。