中山善三郎連載対談
作家 辻美沙子氏

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懸賞金は父の開業資金

 中山

 辻さんのお書きになった「林檎の花咲く町」が、東宝で映画化されたそうですね。二重にどうも、おめでとうございます。

 辻

 ありがとうございます。おかげさまで‥‥。

 中山

 いいこと続きで何よりです。ところで、あの作品の舞台は秋田なんだそうですね。

 辻

 はい。私、鷹巣の農林高校にいたことがあるものですから。

 中山

 農林高校にいたというのは、生徒としてですか?

 辻

 そうです。高校二年までむこうにいたんです。

 中山

 するとご両親は秋田のかた?

 辻

 いいえ、母だけが秋田なんです。北秋田の阿仁町です。

 中山

 おとうさんは、どちらです?

 辻

 山口県です。

 中山

 「林檎の花咲く町」という小説は、雑誌家の光の百万円懸賞当選作なんだそうですが、どのくらい連載されていたんですか?

 辻

 ちょうど一年間です。で、それが終ってから、さらに百枚ぐらい書き足したものを単行本として、家の光が出してくれたんです。

 中山

 なるほど。ボクはいつも中央線の電車で市ケ谷を通りますが、家の光のところに大きな幕の看板があって「百万円懸賞小説、林檎の花咲く町」という宣伝を通るたびに眺めて、ひどく印象にあるんです。

 辻

 どうも恐れ入ります。友だちにも、市ケ谷で看板をみたと、よくヒヤかされるんです。

 中山

 百万円をどうしたかって言われるんでしょう。(笑い)。――百万円をどう使いました?

 辻

 ――私たち、朝鮮からの引き揚げ者なんです。それで母の故郷の秋田に六、七年いたんですが、やがて父がもと勤めていたお茶ノ水の東京医科歯科大学へ招聘されたので、十何年ぶりかで東京へ戻ったわけです。
 一昨年、父が定年で大学を辞めたんですが、勤務の年数が少ないんで恩給はつかないし、退職金もたった八十万円で税金をひかれた私の懸賞金とほゞ同額なんでしょう。引揚げ者で家もないから、官舎を出たら住む場所がないというわけで、医院の開業より手がなかったんです。

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もともと、私が小説を書いて応募したのも、もし運がよく当ったら父の開業資金に‥‥っていう頭がありましたから、結局賞金は予定どおりに、その方へ回わしました。おかげさまで父は練馬の方で開業しております。


独特の味農林高校のよさ

 中山

 それはいいことをしました。残念ながら、私はその作品をまだ拝見していないし、だいたいこんどお逢いするまではどんな人が書いたのかも全然知りませんでしたが、しかし題名から受ける印象で、勝手に青森県あたりの農村を書いたものだろうなと思っていたんです。どんな内容ですか。

 辻

 私、朝鮮の南の端ッコで育ったものですから、北国にとてもあこがれていたんですね。それで鷹巣へ引き揚げてきて初めて見たリソゴの花が、非常に印象的だったんです。すごくロマンチックな感じがして、花のうちで一ばん好きになっちゃったんです。で、学校が農林でしょう。学校の裏にリンゴ畑があって、とってもきれいなんです。よく授業をサボって、リンゴの木の下で本を読んだりしたものでした。だから、題をリンゴの花にしたんです。

 中山

 すると、秋田の農村生活をテーマにしたものですか?

 辻

 いいえ、農村というよりは農林高校の生活を描いているんです。
 農林高校というのは、ちょっと普通の高校と違っているんでしょう。私、その後いろいろな学校を転校してあるいて、ずっとあとで、その良さに気がついたんです。それで、年とるにしたがって、あの時代のよき思い出が忘れられなくて書いたんです。

 中山

 その思い出というのを具体的にいうと、どんなことなんです?

 辻

 他の学校では文化祭というんでしょう。それを農林高校では収穫祭というんです。秋の収穫物をリヤカーや大八車に積んで町へ行って売ったり、野菜や加工品をバザーのようにして売ったり、農機具の展示会があったり、そんな違った高校ライフを小説に書いてみたかったんです。

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 中山

 そうした背景には、やっぱり農村の家族制度の因習的なものが描かれているでしょう。

 辻

 いいえ、それが全然なんです。私自身、朝鮮から引揚げてきて家とか親類とかいういろいろなゴタゴタをまのあたりにみていますから、そういうのがかえってやりきれなくて、意識的にオミットしてしまって‥‥

 中山

 ‥‥若い世代そのものを書いたわけですね。

 辻

 そうです。だから書評なんかでも「もう少しその点を突込んで書くべきだった。深味が足りない」なんて批判されたんです。

 中山

 学園生活とかリンゴの花はともかくをして、朝鮮から引揚げてこられた辻さんとして、何か秋田に最もひかれたというものはありませんか?

 辻

 そうですね。――素朴で、とってもあったかい人情とでもいいましょうか。母の生家は、母の兄の代で破産しているんですが、時々その母の郷里へ行くと、やっぱり"辻のウバさまが帰ってきた"といって皆が歓迎してくれるんですね。
 それにびっくりしたことは、桃も梅も桜も、みんな一緒に咲くんですね。とってもきれい。――山菜なんかも、よく採りに行きました。朝鮮では、大根の葉っぱでも干したものばかり食べていましたから、青いものがとっても懐しかったんですね。フキのとう、ミズ、ワラビ、ゼンマィ‥‥


若い世代を書き続ける

 中山

 あの小説の連載中には、いろいろと反響があったんでしょう。

 辻

 そうですね――、女学生なんですけれども、学校で先生に叱られたり友だちと面白くないことがあった時など家へ帰ってあの本を読んだらサッパリする、といって手紙をくれたかたもおります。
 それから、今まで全然活字に親しんだことがない若い人たちから、この本を読んだら面白くて、それから本を読むのが楽しくなったというふうな手紙をもらった時は、何よりも嬉しかったですね。

 中山

 辻さんの先生が林房雄さんだというふうにきいていますが――

 辻

 学生時代私は映画のシナリオを勉強していたんですが、なかなかモノにならなかったんです。そのころ、クラスメートのおじさんに東宝の技師をやっている人がいて、その人が林先生とイトコなんです。で、その人が言うには『あなたはシナリオより小説がむいている。小説をやる気なら林房雄に紹介してくれる』ということでした。学校を卒業してから婦人世界の懸賞に佳作で入選したことから小説のほうに変ろうと思って、林先生についたわけなんです。

 中山

 よかったですよ。なかなか親切な先生ですから。

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 辻

 林先生について一番先きに書いたのが、鷹巣農林高校を舞台にした「雪の降る町」という二百枚ぐらいのものでした。先生が『とっても面白いじゃないか、いっそその高校を舞台にもっと書いてみたら』といわれるので、それじゃもう百枚書き足して懸賞に応募しょうという気になったのです。
 ――それが運よく入選して、家の光に連載される時、挿絵の成瀬一富先生らと打合せるために銀座へ行ったら、偶然林先生もその年の正月号から「鎮西八郎為朝」を始めるというのでいらしていたんです。編集部のかたも『師匠と弟子が同時に雑誌に連載を始めるというのは珍らしいことだ』とびっくりしていました。
 林 先生はインカから帰られてから健康を害されたので、それまであまり書いていなかったんですね。それに私も結婚してからは『小説なんか止めろ』などといわれまして、先生とはしばらくお逢いしていませんでしたから、本当に嬉しかったんです。

 中山

 で、これからはどんなものをお書きになるおつもりですか?

 辻

 私、以前「ジュニア・それいゆ」に書いていたころから高校生活を好んでテーマにしていましたから、やっぱりそういう若い人たちのものを書きたいですね。よく『家庭をテーマにしたものを書いたら』とすすめられますが、そこまで背伸びしないで――
 中山まだお若いですから自分のテーマに突き進んだほうがいいですよ。



 昭和九年、朝鮮全羅南道に生まる。二十年引揚げて母の郷里秋田県へ帰る。鷹巣農林高三年春に一家が上京。和洋女子大家政学部卒業、東洋大学文学部図書館学講座修了、和洋女子大図書館に二年勤めて結婚のため退職。学生時代はシナリオ作家協会新人育成会に所属していたが、卒後小説に転じて《現代》同人となる。三十三年婦人生活の懸賞に「教授の館」が入選。主な作品に「耳環」「すずらん祭」「林檎の花咲く町」がある。現在自伝的大河小説「不死鳥」を執筆中。