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歴史を知る

玉川中和処理の歴史

画像:玉川中和処理の歴史

 

 玉川温泉水が流れ込む「玉川」は、上流にある玉川温泉からpH1.2という、レモンや梅干しよりも強い酸性を示す強酸性泉が流れ込むため、魚が住むことができないほどの川でした。
 
 そんな玉川の強酸性水への対策は、天保12年(1841年)に角館の田口幸右エ門が沢水流入防止工事に取り組んだことから始まりました。その工事とは、降った雨が地中にもぐり、噴泉から酸性水となって出てくるのを防ぐため、水路を作って雨水が地中にもぐりこまないようにする、というものでした。
 
 それから年月が経ち、昭和14年(1939年)、井戸を掘って酸性水を地中で粘土や岩石類と触れさせて中和させるという方法がとられ、昭和15年(1940年)には玉川の水を田沢湖へ流し、希釈するという方法もとられました。この方法により、ある程度の効果は得られたものの、田沢湖が酸性化してしまい、当時、田沢湖に生息していたという「クニマス」の姿を見ることは無くなってしまいました。
 
 その後、玉川ダム建設事業の一環として、玉川酸性水中和処理施設が建設され、平成元年(1989年)10月に試験運転、平成3年(1991年)4月に本運転が開始されました。この施設では、粒状石灰中和方式により処理を行っています。この方式は、以前行われていた簡易石灰中和法よりも様々な装置が導入されており、それにより大きく水質の改善を図ることができました。
 
 こうした中和処理により、玉川下流域では農業用水に適した水質へと変化し、お米の収穫が増え、玉川や田沢湖には魚や植物などの生物が住めるようにまで改善されました。
 
 玉川ダム上流にある宝仙湖や、下流の秋扇湖、そして田沢湖の色が瑠璃色に輝くのは、玉川温泉水に溶け込んでいるとされる、「アルミニウム」の細かく沈殿しない粒子が青い光だけを反射するためにおこる現象なのだそうです。
 
 田沢湖の幻想的な湖面の色には、人々と玉川酸性水との長い、長い歴史の跡が刻まれています。
 
2012年2月掲載

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