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語りを聞く

琴川すげ笠同好会 三浦猪吉さん

画像:琴川すげ笠同好会 三浦猪吉さん

 琴川すげ笠同好会の会長を務める三浦猪吉さんは、すげ笠のことを「七どこ笠」と呼びます。笠の底辺から頂点の結び目までの間に、円を描くように白い糸が七段縫い付けられていることがその名の由来です。平成22年(2010年)に開催された「琴川すげ笠伝承塾」で若者たちにすげ笠作りを教えた三浦猪吉さんに、琴川のすげ笠についてお話を伺いました。
 
 琴川のすげ笠作りの技法は江戸時代の北前船によってもたらされたと言われ、各家庭で、長年にわたり受け継がれてきました。平成22年(2010年)で83歳になる猪吉さんも、すげ笠を作る両親の背中を見て育ちます。携帯に便利な折りたたみ傘の役割を果たしていたすげ笠は、農家の良い収入源だったそうです。「売った金で、俺のじいちゃんが、お菓子を買ってきてくれてな」と話す猪吉さんも、家族とともにすげ笠を作りながら、笠を売り歩いたそうです。
 
 平成13年(2001年)、琴川の有志18人が、すげ笠を後世に残そうと同好会を発足させました。猪吉さんもそのメンバーの一人。琴川公民館に集まって、各自の技術を共有し、和気あいあいと、すげ笠制作を行っていました。「いかったで、いかったで、と褒められれば、非常に嬉しいもんだものな」。猪吉さんが何よりも嬉しいのは、買った人に喜んでもらう瞬間だそうです。売り物にするからには、きちんとしたものを作らなければならない。そうでなければ、お客さんに申し訳ない……すげ笠作りを終えたあと、仲間と共に温泉に遊びに行くのは同好会の恒例行事でした。
 
 しかし、同好会は平成19年(2007年)に解散せざるをえなくなります。すげ笠作りの中でも、すげの刈り取りと乾燥作業は、高齢化が進む作り手たちには大きな負担となります。メンバーはみな70歳を超え、「体力の限界だった」と猪吉さんは、当時を振り返ります。
 
 茄子地人協会のメンバーが、すげ笠作りの指導を乞うため猪吉さん宅を訪れるのは、その3年後のこと。18人いた同好会メンバーのうち、指導が可能だったのは、猪吉さんを含め7人となっていました。「やるという気持ちだけあっても、学ぶ人間がいなければ成り立たない」。猪吉さんは、指導を志願してきた若者たちに、当初そう話したそうです。
 
 では、猪吉さんが、仲間とともに伝承塾の指導を引き受けた理由は何でしょうか?
猪吉さんは、周囲の人々が喜ぶ姿を見るのが、何よりも嬉しいといいます。「若い人たちが“やる”“残したい”と言った気持ちに応えたい」。琴川のすげ笠は、若者の気持ちに応えようとする、名人たちの心意気により、次の世代へと引き継がれようとしています。
 
2011年4月掲載

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