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語りを聞く

潟(かた)の漁の歴史 ~田森利雄さん~

画像:潟(かた)の漁の歴史 ~田森利雄さん~

 鵜川地域の富岡集落でワカサギ漁を営む田森利雄さんは、現在80歳、現役の漁師です。中学卒業後、すぐに八郎潟に漁に出ました。「しじみ」や「ワカサギ」漁に携わりながら、出稼ぎで北海道に渡り、鰊(にしん)漁を行った経験もあります。現在も八郎潟(現 八郎湖)で漁を続けている田森さんに八郎潟の漁の歴史についてお話を伺いました。
 
 日本第2の大きさを誇った湖「八郎潟」のことを田森さんは「潟(かた)」と呼びます。八郎潟は昭和33年~52年(1958年~1977年)、20年におよぶ干拓工事により「大潟村」となりました。現在は大潟村周辺を囲うように流れる一本の承水路が八郎湖として残っています。
 
 「潟には日本海の塩が入ってくる」と田森さんは話します。干拓される以前は最深部でも4~5mと比較的浅く、男鹿の船越水道で日本海と繋がっていました。この特異な環境が、日本海の海水魚と淡水魚が潟で同居する、約40種類の魚が生息する湖をつくりあげていたのです。そのため「エビ筒」「引き網」「さし網」「張っ切網」「建て網」といった八郎潟独自の漁法が発達しました。二隻の舟が帆を上げて網を曳きながら流れていく漁法「打瀬網(うたせあみ)」の風景や、冬期限定の「氷下引網漁」の様子などは八郎潟を語る上で欠かせない漁の風景です。「氷下引網漁」は、江戸時代の紀行家・菅江真澄や秋田出身の日本画家・福田豊四郎などが絵に残しています。
 
 田森さんがワカサギを捕る時は、誘導網を張って魚を袋網に追い込む「建て網(たてあみ)」という漁法を使います。昔は、朝から昼までの間、舟いっぱいにワカサギが捕れ、青森からわざわざ買いに来た人もいたそうです。60年前の富岡集落では「しじみ貝」も大量に捕れ、通常は1日6万円ほどの収入が10万円近くになったこともありました。「昔、潟に氷が張る1~2月は、三尺四方に穴をあけてしじみを冬に捕ったよ」と田森さんは話します。
 
 現在、富岡集落に漁師は田森さんを含め2人になりました。富岡集落の田園の一角には漁師さんが信仰する「八郎様」のお堂が建立されており、お堂の外には田森さんが作った「平成20年ワカサギ建網大漁」の標柱も立っています。長年の漁の歴史の中でも「一番思い出深いのがワカサギ漁」と話す田森さん、月1回、豊漁と安全を祈願し、今もお参りを欠かさずワカサギ漁を続けています。
2015年3月31日掲載
 
■参考文献『消えた八郎潟』『八竜町郷土史 郷土の記憶 龍騰』

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