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語りを聞く

房住里の会 会長(平成21年度) 加藤昌晴さん

画像:房住里の会 会長(平成21年度) 加藤昌晴さん

 

 明治44(1911)年、上岩川村小荒沢と鹿渡駅との間に「岩川林道」が敷設されました。森林資源に恵まれた上岩川地域から木材を伐り出すための、12.5kmにわたるトロッコ軌道です。
 この頃の《鹿渡村役場事務報告》には、「本村繁盛ノ上ニ景気ヲ添へタリ」の文言が見られ、一帯の賑わう様子をうかがい知ることができます。上岩川にも娯楽場や公共施設が建ち並んでいました。
 
 「房住里の会」の会長・加藤昌晴さんは、大手企業の営業部門で腕を振るった経歴を持ちます。仕事柄、引っ越しの多かった会社員生活を定年退職まで勤め上げ、35年ぶりに故郷へ戻ってきました。
 「――寂しい風景が目に映った」と振り返ります。営林署の閉鎖や農林業の衰退で上岩川は過疎化が進み、点在する集落のうちの三つが無人になっていました。道路や上下水道の整備こそ以前よりも改善されていましたが、「人が減り、建物も減り、全てが減ってしまった」という印象だったそうです。
 
 加藤さんは住民が気持ちを荒ませることなく楽しんで暮らすための方法を模索していたところ、二人の同志が現れて事態が好転します。
 まず先に、木田章さんの実績を三種町役場で耳にしました。房住山の歴史的な価値をPRする手製の立て札を設置するなど、地道な活動を続けていた上岩川の元郵便局長さんです。加藤さんは電話をかけ、その日のうちに木田さんに会いに行きました。

房住里の会の木田さん。
 
 その後、木田さんから引き合わされたのが岩城紘一さん。住民アンケートで“子供や孫に伝えたい事柄”を募り、『郷土かるた』を作成した、こちらは元校長先生でした。“岩城先生のかるた”は“ジャンボかるた”に姿を変えて、現在まで20年以上も続く恒例の雪中大会で詠み上げられています。

房住里の会の岩城さん
 
 同じように上岩川を思う3人はたちまち意気投合、お互いの存在に励まされることになりました。それぞれの個性が相乗効果をもたらして、出会いから一月足らずのうちに「房住里の会」の原型が出来上がったのです。
 
 木田さんは、自宅の一室に放送室を設け、スポーツ少年団への呼びかけやラジオ体操の指導を行ってきた地元の“顔”。「里の会」では広告塔の役割を果たしています。
 岩城先生は、古今を問わず文献に明るい“知識人”。“みやび”な彩りを加えて、「里の会」の活動内容を充実させています。
 
 年は会長の加藤さんがお二人よりも下ですが、地域おこしを思い立った理想と行動力には大きな期待が寄せられていました。「3本の足で支え合って立っている」と、加藤会長も“五徳”に例えて、両先輩を頼みにしているようです。
 今や、「房住里の会」は95名の大所帯。加藤さんの帰郷で始まった3人の物語は、上岩川の物語へとステージを移して展開中です。
2010年4月掲載

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