画像:多賀谷居館跡

  江戸時代に能代山本地方を治めた「多賀谷氏」の居館跡が、能代市檜山地域に残されています。多賀谷氏は常陸国(茨城県)の生まれで、慶長5年(1600年)の関ケ原合戦後、佐竹義宣が国替えで常陸から秋田に入部した際、義宣の弟で多賀谷氏の養子になった多賀谷宣家(のぶいえ)も秋田に入り、県内各地の城主を務めました。

 始めに仙北市の白岩城主、次に能代市の檜山城主となった後、息子の重隆(※)が由利本荘市の亀田城主となったため、宣家も後見役として一緒に亀田に移り、岩城氏を相続しました。※重隆は大阪夏の陣で討ち死にした真田幸村の娘・お田の方と宣家の間に生まれた子供です。
宣家が亀田に移った後の多賀谷氏は佐竹家一門の戸村隆経が相続し、以後、幕末まで約400年にわたり、多賀谷氏が檜山地域を統治しました。
 
 多賀谷氏居館跡は、現在の檜山崇徳館の裏にある高台に残されています。居館の他、周囲に家臣の屋敷や町屋が配置されました。表門、裏門、土塁、井戸の跡などが確認されており、江戸時代の風景を今に伝える史跡として大事に保存されています。

平成29(2017)年3月掲載

■参考文献
『歴史探訪檜山パンフレット』

こちらの記事もおすすめです

北限のお茶「檜山茶」

 能代市・檜山地域では古くから「檜山茶」の栽培が行われており、製茶を行っている地域としては北限と言われています。檜山茶の起源は江戸時代中期まで遡ります。 檜山地域に城館を構え、能代山本地方を治めていた多賀谷氏の6...

買う

その他

その他

檜山納豆

秋田音頭でもお馴染み「檜山(ひやま)納豆」   能代市檜山(ひやま)地域と言えば、秋田音頭の歌詞にも登場する「檜山納豆」が有名です。その起源は不明とされていますが、「天明の大飢饉」の際に製造が始まったと伝わってい...

買う

その他

その他

檜山安東氏城館跡(檜山城址)

 能代市檜山(ひやま)地域で最も有名な山城跡が「檜山城址」です。    檜山崇徳館(檜山地域センター)の南東に位置する檜山城址は、室町期から戦国期にかけて能代山本地域を治めた「檜山安東氏」の本拠地として知られてい...

歴史

史跡