秋田を味わいたい!

あきたの旬材 ハタハタ

和40年代は年間の水揚げが1万5千トン前後もあり、県内の漁港おは次から次と水揚げされるで埋めつくされた。


 「おれだぢ子どものころだば毎日食わせられで、ハタハタの顔見るのもいやだったな」

 「んだ。木箱にもりっと入ったのが1箱200円、300円だったものな。弁当のおかずはの塩漬けで、田植えのころまで続いたもんだで」

 「おらほは1箱50円だった。より箱代の方が高げがったもの」

 や高級魚となったを前に、こんな会話を交わすのは年齢が40代後半以降の人々。そして最後に「死ぬまで1回でいいから、を腹いっぺ食ってみでな」となる。

 漁が続いていた時代、秋田の冬の食卓はまさに一色。がないと冬が越せないとまで言われた。

 れは沿岸部だけのことではない。気温の低いこの時期は、県内全域が冷蔵庫の中のような状態。馬や川船による遠方への運搬でも鮮度の下がる心配はなかった。このため、ふだんは鮮魚に恵まれない山間部、山奥までもハタハタは運ばれた。もし真夏に水揚げされていたら、こうはいくまい。

 この家でも1回に2箱も3箱も買い求め、塩焼きやショッツル貝焼きなどで旬の味を楽しみ、残りは「塩漬け」「ぬか漬け」「こうじ漬け」などさまざまな方法で保存し、冬の間の貴重なたんぱく源とした。

 のように秋田県民に親しまれてきただったが、昭和50年代から水揚げが減り続け、同54年には1386トンと盛漁期の1割弱。平成3年には、なんと71トンまで減少してしまった。

 「このままでは県民魚である秋田産のが絶滅してしまう」と危機感を持った秋田県と漁業関係者が対応を協議し、全国でも例を見ない3年間の自主禁漁が決定された。

 この自主禁漁期間中、男鹿の漁師さんを取材したことがある。



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 「北海道だ、鳥取だ、韓国だと、いろんな所からが入ってくるども、おれは食う気にならね。男鹿のハタハタと味も見た目も違うもの」

 「んだどもよ、くやしいどもよ。韓国産の買って、寿しだけは漬けた。の寿しがねえば、年越しがでぎねべ…」と漁師さんは悲しそうだった。

 まざまな保存方法の中でも、米と麹を使った寿司は、特別だ。

 どんなに高価になっても、なんとか買い求めて正月のお膳にのせたい料理であり、魚なのだ。 しかし、自主禁漁の効果はてきめん。禁漁明けの平成7年度の142トンから毎年漁獲量を増やし続け、12年度には1569トンにまで回復した。そして、平成13年12月には「県の魚」に制定され、は名実ともに秋田県の魚となった。


 

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