秋田を味わいたい!

秋田の旬材 桧山納豆

は長期戦となり、食料が不足してきた。義家は地元の農民に食料として煮豆を供出させることにした。急なことだったので入れ物が間に合わず、農民は煮豆を俵に詰めて差し出した。数日後、それはいい香りを放ち、糸を引くようになった。義家が試しに食べてみたところ、「これは、ウマイ」。やがて農民たちもこれを知り、納豆を作って食べるようになった、というのだ。

 ともと納豆は煮大豆をワラヅト(物を包むためにワラを編んだもの)に包み、ワラに付着している納豆菌で自然発酵させたもの。米の国・秋田はワラが豊富で、味噌や豆腐、納豆などの原料となる大豆も盛んに栽培されていた。県内各地ではこれらの原料を使い、業者はもちろん各家々でも納豆づくりが行われていた。

 豆はもともと秋から冬、春にかけてつくったものです。納豆は発酵食品ですが、気温が高くなると二次発酵してダメになってしまう。だから冷蔵庫のなかった時代、各家々はもちろん、私の家のような納豆を商売にするところでも夏はつくらなかったものです。」と、元祖の代表、西村庄右エ門さん。

 


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 家々でつくる場合、一回につくる量は三升から五升。比較的簡単にできる「雪割り納豆」や「木桶納豆」が多かったようだ。「雪割り納豆」は煮大豆をワラズトに入れ、それを新ムシロで包む。さらに縄できちんとしばる。三尺(一尺:約30.3cm)から五尺くらいの深さの雪穴を掘り、その中に入れて雪をかけ、しっかり踏み固める。発酵してくるとムシロの中の温度があがってくるが、この熱気で雪の表面に穴が開くとできあがり。

 「木桶納豆」は木桶にワラを敷き、その上に煮大豆を入れたワラズトを並べ、さらにワラをかぶせてムシロをのせる。桶をさかさにしても中のものが落ちないよう木の棒でしっかり固定する。四十度以上のお湯を入れた鍋の上に桶を逆さにして置き、常に湯気で温める。お湯が冷めるとお湯を入れ換える。こうして2、3日もすると納豆ができあがる。

 西村さんの家で江戸時代から代々つくり続けてきた納豆は商売用。小さな木桶でつくっていたのでは間に合わない。木で室をつくり、炭火で温めて発酵させていたという。先祖伝来の製法から生まれた納豆は、周辺の納豆とはひと味もふた味も違う。

 

と「秋田音頭」で唄われているは、江戸時代から評判の味だったというわけだ。

 

 かし、昭和12年の桧山の大火で、室やその他の道具は消失。さらに戦前戦後の原料不足が重なり、伝統の味は途絶えてしまった。高まる周囲の要望によって、が復活したのは昭和58年のことだった。昔ながらの製法に現代の衛生管理の基準にあうような近代的設備と技術を加えての再出発である。

 元産の原料にこだわった現代版は、大豆本来の豊かな風味に加え、しっかりとした歯ごたえが身上。ひとかみひとかみ味わって欲しい納豆だ。


 

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